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開拓記念碑調査事業

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北海道・東北地方

北海道

北海道上川郡美瑛町 「拓魂」

アクセス

五稜第一開拓  01-459-

 

①調査日  令和元年9月11

②所在  上川郡美瑛町

緯度・経度:43.6123710065426,142.4002368884598

③地区の沿革 昭和22年大阪14戸、樺太11戸、道内3戸が入植した。

④設置年月日  昭和61年6月

⑤設置者  入植者

⑥碑文(表面) 開拓記念塔 

五稜第一の歩み  昭和二十二年 大阪十四戸樺太十一戸道内三戸入植 同二十三年 五稜行政区誕生 同二十五年 美田五稜の通学区域として美田小中併設校として開校 同三十三年 五稜地区に電気導入 同三十六年 阪和神社を美田神社に合祀する 同四十二年 農村集団自動電話開通 同五十一年 五稜第一会館新設 同五十九年 五稜開拓舗装道路完成 同六十一年 公園用地取得 同六十一年 開基四十年記念塔建立

⑦碑文(裏面)  設置者19名が記載

⑧現在の状況  五稜第一開拓公園内に設置されている。

北海道

美園、五稜地区

「拓魂」

北海道上川郡美瑛町五稜

 北海道のほぼ中央に位置する上川郡美瑛町(びえいちょう)は、なだらかな丘陵と緑豊かな自然環境が特徴の町。面積は約6万8千㌶で、人口は約1万人。気候は内陸性で寒暖の差が大きい。戦後開拓集落による広大な農地が美しい景観を形成している。

1945(昭和20)年、緊急開拓事業により、美瑛原野地区の旧・陸軍演習地6798㌶、ルベシベ地区の旧・御料林(皇室所有地)2716㌶が開拓地として開放された。東京や名古屋の被災者、復員軍人、外地からの引揚者らが続けて入植した。

48年、美瑛開拓農協と五稜(ごりょう)開拓農協の2開協が創立された。開拓者は地域に応じて、それぞれの開協に所属した。

美瑛原野地区は開田、ルベシベ地区は開畑の計画だったが、人力で行わざるを得ない開拓は厳しかった。繁茂していた大木の抜根作業は重労働だった。岩石が多い場所もあり、開墾は容易ではなかった。

離農者が多かった。「美瑛町戦後開拓四十年史」(87年発行)によると、当初の入植者755戸のうち、現地を去った者は452戸の多きに達した。

かんがい施設及び飲料水施設が完成したのは64年のことだった。現在は、小麦やバレイショなどの畑作、稲作、酪農などが営まれ、農業が同町の基幹産業となっている。

町内には、いくつかの記念碑や記念塔がある。五稜神社の境内に設置されている石碑は96年に建立されたもので、碑銘は「美瑛町五稜開基五十周年記念碑 拓魂」。

碑文には「美園地区73戸、五稜地区181戸の総数254戸の入植者に依って開拓された」とあり、「先人は、新地開拓に明日への希望を抱き、森林を伐採し、背丈を凌ぐ笹を刈り跡地を焼き払っては鍬を入れる、過酷な労働と厳しい自然と戦い、粗衣粗食など多くの苦難に耐え、不屈の精神力をもって開拓に励み肥土の大地に成し遂げ、昭和56年美園、五稜地区の合併を経て、今日の五稜郷が創られた」と記されている。裏面には、建立者全員の氏名が刻まれている。

ここの情報を掲載した「開拓情報」

2021年5月 北海道・美園、五稜地区

美瑛町五稜開基五十周年記念碑   01-459-

 

①所在  北海道上川郡美瑛町

②設置年月日  平成8年11月7日

③設置者  入植者等

④碑名  開拓碑

⑤碑文(表面)  美瑛町五稜開基五十周年記念碑 

拓魂  美瑛町長 水上 博

この地は、明治32年以来帝国憲法により宮内庁が所管する皇室の財産御料林として管理されていた土地であったが、太平洋戦争の終戦による、未曾有の大混乱と激動の中で極度の食糧難による食料増産と失業者の就業を図るため、昭和20年に緊急開拓事業が実施され、東京、名古屋方面から終戦疎開者を中心とした美園地区の開拓が始まり、その後、昭和22年大阪方面の開拓者に樺太、満州からの海外引揚者と、昭和29年に全国各地から16戸の入植をもって、美園地区73戸、御領地区118戸の総数254戸の入植者に依って開拓された。

   これらの先人は、新地開拓に明日への希望を抱き、森林を伐採し、背丈を凌ぐ笹を刈り跡地を焼き払っては鍬を入れる、過酷な労働と厳しい自然と闘い、粗衣粗食など多くの苦難に耐え、不屈の精神力をもって開拓に励み肥土の大地に成し遂げ、昭和56年美園、五稜地区の合併を経て、今日の五稜郷が創られた。

開拓50周年を迎え、多くの先人の業績を讃え更なる五稜郷の発展と飛躍を願いこの功績を永く後世に伝えるため、現住者と五稜地区ゆかりある方々の賛助に依り記念碑を建立する。

平成8年11月7日 建立

⑥碑文(裏面)  50周年記念碑建立者名

⑦現在の状況   五稜神社境内で管理されている。

北海道

新星開拓

アクセス

新星開拓  01-459-

 

①調査日  令和71015

②所在  美瑛町新星(隣には新星神社、新星地域農政推進センターがある)

緯度・軽度:43.52782896214314, 142.47208681349085

③地区の沿革  

④設置年月日  平成7年5月吉日 

⑤設置者  

⑥碑文(表面)  

(副碑) 

当地は、明治四十年より陸軍演習場であった。開拓は、太平洋戦争終結と共に初まり、獣医 日下部宏氏に依り(新星)と命名された。以来、百五十名余りの入植者の手に依り、幾多の苦難を乗り越え現在の新星郷が創られた。五十周年を迎え、先人の栄智と、苦労を賛え更なるふる郷の発展と、飛躍を願い、現住者五十余戸を以て、記念碑を建立する。

⑦碑文(裏面)  なし

⑧現在の状況  新星神社の隣に建立

北海道

北海道足寄町・足寄開拓

「寒門有硬骨」と「牛魂碑」
北海道十勝地区の足寄郡足寄町は、日本の町村で最も面積が広い。人口は約6800人。山麓特有の気象現象と内陸性気候の影響で寒暖の差が大きく、冬は冷え込みが厳しい。
明治期の開拓により、農地が拓かれた。戦後の開拓事業による入植者に残されていたのは、丘陵地だった。入植者は45(昭和20)年11月の復員軍人を皮切りに、翌年の山形庄内開拓団、長野開拓団など70年までに534戸を数えた。48年、足寄町開拓農協が創立された。

入植地は強酸性の火山灰土壌であり、炭カルを運ぶ道路も整備されておらず、作物栽培は困難を極めた。当初は、自給用の作物と販売用の豆中心の畑作だった。だが、標高300~500㍍の高い高冷地で、53年から56年にかけて冷害が度重なった。定着しつつあった豆作は転換を余儀なくされた。

いつ襲われるか分からない冷害に対処するには、草地を基本作目とする経営、酪農への転換だった。離農者が多く出たが、次第に酪農の専業・大型化が進んだ。乳用雄子牛の哺育、肥育も行われた。現在、酪農や肉用牛経営など畜産が盛んな地域となっている。
開拓農協は05年9月、足寄町農協と合併。開拓農協施設内の2基の記念碑は同年6月、末広地区共同牧場内に移設された。記念碑「寒門有硬骨」は78年、「牛魂碑」は83年の建立。「寒門有硬骨」は組合創立30周年を記念したもので、「寒門に硬骨あり」とは「厳しい環境の中からこそ、人材が生まれる」といったことを意味している。

ここの情報を掲載した「開拓情報」

2020年1月 北海道・足寄

入植5周年祝辞   01-647-10
本日入植五周年の記念日を朴して團員各位の精神的寄りどころたる神社を建立せられここにかくも荘厳な式を上げる事の出来ました事は團員各位の喜びは勿論の事送出の母体として終始苦楽を共にして未だ我々としてもこれ程の喜びはありません 顧みれば軍馬山に入植以来あらゆる辛酸を克服して営々とここ迄築き上げて来た諸兄等の歩み来った道が姿がまざまざと眼の前に浮んで来ます霜柱の深いどろどろの道曲りくねった延々の山道塩の無かった食生活本営に言語に絶する苦労もものともせず大陸の同志の弔合戦だと歯を喰ひしばって現在の成果を得ました 本隊入植の時多くの家族と幼ない子等と共にこの深い山に入った時ここに新しい生き生きとした生命が芽を吹くのだと感じました 月日がたつのは早いものでもう五ツの年を経團建設も○約軌道に乗り自家発電施設を始め諸設備の完備と共にいよいよ明るい理想の村が出来つつある事を見感慨無量であり胸にこみ上げるものを感じます ここに新たに郷土の神々を迎えいよいよ團結を固くして理想の村造りを完成されん事をお願ひしてお喜びの言葉にかえるしだいであります

昭和二十七年四月十七日 庄内開拓事業協同組合 鈴木壯助


足寄開拓 牛魂碑 寒門有硬骨碑
位 置 足寄郡足寄町末広地区
緯度・経度:43.3549287,143.5584217
設置者 内閣総理大臣 中曽根康弘 農林水産大臣 中川一郎
設置日 平成17年6月
碑文表 牛魂碑 寒門有硬骨

碑文
昭和五十三年九月、足寄町開拓農業協同組合創立三十周年記念として開拓記念碑「寒門有硬骨」、昭和五十八年九月に「牛魂碑」を、足寄町西町五丁目の開拓農協施設内に建立する。
五十七年間続いた開拓農協の歴史に幕を閉じることになり、平成十七年六月、両碑を末広地区共同牧場内に移設する。

記念碑の現在の立地状況
足寄町末広地区共同牧場内

青森県

田代平

アクセス

田代平(たしろたい)  02-201-

 

①調査日  令和元年7月25

②所在  青森市駒込

緯度・経度:40.69825944201435,140.913821192548

③地区の沿革 東八甲田連峰北側中腹標高5~6百mの高冷地に、昭和22年青森県開拓少年隊50名が入植、1年で殆どが離散。23年北海道酪農指導農家20戸が入植するも離脱者が相次ぎ、出入が激しく28年に定着農家30戸の目標達成。

④設置年月日  昭和52年9月18

⑤設置者  田代平開拓酪農業協同組合

⑥碑文(表面)  拓魂  

大自然と人類調和の願い 伐り開いたこの大地を子孫の繁栄と悠久の未来に贈る  

衆議院議員 竹中修一書

⑦碑文(裏面)  この開拓は昭和二十二年 青森県開拓少年隊(隊長 鎌田猛 隊員五十名)の入植に始まる それは我が国高冷地農業開発の先端を行く壮挙として注目を集めたが立地条件の酷しさに加えて経験の少ない青少年の集団では至難の業であり 一か年にして隊員は殆んど離散 隊長又病魔に冒され不帰の人となり 残留せるものわずかに五名 翌二十三年 青森県副知事松野伝農学博士の斡旋により日本の酪農家としてその名も高き 富樫鉄之助翁を指導者として仰ぐ 翁はただちに北海道勇拂郡安平村の酪農地帯より指導農家二十戸の先遣隊を導入 明けて二十四年にはその家族の一部をも移住せしめて 開墾営農に努めたがこれ又四戸を残して全て離脱した 翌二五年より二か年に亘り 翁は自分の故郷である山形県飽海郡下の農家次三男と地元青森県内の希望入植者を併せ四十余戸を入植せしめ 次いで二十八年には遠く岐阜県の分村入植者三戸をも受け入れて鋭意開拓事業に専念した結果 離農者は相次ぐ中にも 漸次定着農家の累積を見て三十戸の計画戸数に達するまでとなった

官公庁の指導により営農基盤と環境の整備が促進され部外者からの暖かい協力と激励を心の支えとして今日漸く肉牛生産地として将来を期待されるに至った この間三十年 指導者富樫翁は既に亡く 残る農家は二十二戸を数える開拓者の道は常に 冷厳なる大自然の中で 生命をかけた戦いであった / 多くの心からなる協力者に今改めて謝意を表し碑文とする

         田代平開拓酪農業協同組合

        地区の概要・組合員氏名

昭和五十二年九月十八日建立

⑧現在の状況  地区内の神社敷地に立地し管理されている。

青森県

美保野

アクセス

美保野  02-203-

 

①調査日  令和元年7月25

②所在  八戸市美保野 美保野小学校 敷地内

緯度・経度:40.4838309933719,141.585451964153

③地区の沿革  民有地216町歩が解放され、26戸が3次に亘り入植した。

④設置年月日  昭和40年6月

⑤設置者  入植者

⑥碑文(表面)  墾即魂

 青森県知事 竹内俊吉書

⑦碑文(裏面)  昭和23年農地改革により地主南部直文氏の所有地216丁歩余りが解放された25年栗村市太郎外26戸が3次に亘って入植す 同年開拓農業協同組合設立 墓地を設置幹線道路完成す26年小学校を設置30年乳牛導入31年電気工事完成同年トラクター導入す 40年水道工事完成これらが完成したので開拓15周年を記念してこの碑を建てる

昭和40年6月吉日

⑧現在の状況  小学校の敷地に隣接して立地するが、草刈りなどはされていない。 以前は近隣の集会所に立地していたとの話もあった。小学校のホームページに由緒などの記事がある。

青森県

厚目内

アクセス

厚目内(あつめない)  02-204-

 

①調査日  令和元年7月25

②所在  黒石市厚目内

緯度・経度:40.542147751514,140.727589316468

③地区の沿革  十和田八甲田山麓の準高冷地に、昭和2130戸が入植した。

④設置年月日  平成9年5月26

⑤設置者  入植者

⑥碑文(表面)  拓魂永遠に

   黒石市長 清藤三津郎

厚目内入植50周年記念碑

     平成九年五月二十六日建立

⑦碑文(裏面)  入植者23名、寄付者氏名など

⑧現在の状況  農協野菜集出荷所構内に立地し管理されている。

青森県

北野

アクセス

北野  02-206-

 

①調査日  令和元年7月25

②所在  十和田市大沢田北野

緯度・経度:40.6749092352692,141.177806307989

③地区の沿革  昭和21年国営開拓事業で39名が入植した。

④設置年月日  昭和51年8月1日

⑤設置者  入植者

⑥碑文(表面)  開拓三十年記念碑

       青森県知事 竹内俊吉書

⑦碑文(裏面)  昭和二十年第二次世界大戦終結後の激動時 貧困の究極を打開せんとして別記我等果敢の同士三十九名は新天地の礎をこの地に求めんと国営開拓事業に挺身入植した

以来新しい村造りの為に困難辛苦に堪え一致協力和を旨とし人馬一体良く農厚土と成し部落諸事業諸設備に奔走努力昭和三十七年遂に開田に成功した 爾来嘗ての荒漠干漠の地は今や櫻花爛漫市の重要地帯と化し国道及び産業道の基幹地として変容したのである

茲に大自然の恵みに心頭し諸機関の盡大なる支援に思謝し更にこの機を待たずして眺夭せる酒杯の朋友を忍び子々孫々永却に亘り我等三十年の懐古を止めんとする

昭和五十一年八月一日      入植者氏名等

⑧現在の状況  地区内の神社敷地に立地し管理されている。

青森県

吾郷

吾郷(ごごう)  02-206-

 

①調査日  令和元年7月25

②所在  十和田市三本木

③地区の沿革  昭和21年4月36戸が入植した。

④設置年月日  昭和41年4月

⑤設置者  吾郷開拓農業協同組合

⑥碑文(表面)  開拓記念碑   三本木農業協同組合長 水野陳好書

⑦碑文(裏面)  昭和十三年農林省●の三本木原国営開拓に着手 吾郷部落民は昭和二十一年四月八日 この計画に基って三十六戸入植 当初畑作経営後開田するに及び経営も順調に推移、其間吾等一致団結 あらゆる困難に耐沃野●●成功を見る 現在入植者三一戸 鋭意農業振興に寄与・・・      開拓二十周年に当たり・・・記念す

昭和四十一年四月   吾郷開拓農業協同組合

⑧現在の状況  住宅地内の公会堂敷地に立地している。開拓地の面影は少ない。

青森県

藤坂村相坂

アクセス

藤坂村相坂(ふじさかむらおうさか)   02-206-

 

①調査日  令和元年7月25

②所在  十和田市相坂高清水

緯度・経度:40.6277615801822,141.258428102822

③地区の沿革 牛馬放牧、薪山利用の部落有地を解放され、昭和22年に次三男が入植した。

④設置年月日  平成3年3月22

⑤設置者  藤坂水田協業組合

⑥碑文(表面)  拓魂

⑦碑文(裏面)  此の地は旧藤坂村大字相坂部落有地で面積南区北区合わせて約五〇〇町歩あり旧来より部落の牛馬放牧又薪山として利用せる地なり  昭和二十二年(一九四七)次三男対策として入植者に開放又食糧増産のため一戸二反三畝当て地元増産として配分 残余の土地は昭和二十六年(一九五一)牧野農業協同組合を設立 放牧地として運営せしが 農機具の普及と共に牛馬の飼育が減少するに至り 昭和三十一年(一九五六)地元増反として毎戸三反歩当て畑地として配分す 時あたかも開田ブームとなり昭和三十九年(一九六四)開田 大型農機具利用の水田協業組合を設立 今日まで運営せるが 昭和四十五年(一九七〇)より稲作減反政策が実施 年々強化されるに至る 併せてバイパスの開通 工場進出等 又組合員の宅地化の要望多く水田協業組合の目的達成困難なるを以て平成三年(一九九一)解散せり

         平成三年三月二十二日 

           藤坂水田協業組合 組合長理事 苫米地眞宗

⑧現在の状況  十和田おいらせ農協の敷地内に立地している。
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