北海道・東北地方
北海道
第一開拓
第一開拓 01-104-1
①調査日 令和7年10月16日
②所在 札幌市白石区北郷9条7丁目
緯度・経度:43.0698193964, 141.4259255936
③地区の沿革 碑文に記載
④設置年月日 昭和45年10月1日
⑤設置者
⑥碑文(表面)
この地の開拓は昭和二十年東京都からの拓北農兵隊五戸の入植にはじまる。翌二十一年逼迫する食糧事情のため疎開者引揚者等多数来往し第一開拓促進組合を結成一致団結本格的な開発がすすめられた
当時この地は茅葦が密生する泥炭湿地帯に加えたび重なる冷水害発生等の劣悪なる立地条件であったがそれに屈することなく開拓精神によって想像することもでき得なかった今日の大地をきずきあげたのである 昭和二十八年有志一同により記念碑を建立する予定であったが打ち続く天災さらに「は用地事情等延伸を余儀なくされた
幸い今日関係者の絶大なるご配慮によって建立のはこびとなりここにこの開拓者精神の継承を祈念するとともに輝かしい未来創造を期待しここに開拓記念碑を建立する。
昭和四十五年十月一日
⑦碑文(裏面)
⑧現在の状況
隣には「白石開基百年記念碑」が建立し、第一開拓碑と並列。
※隣に「白石開拓記念碑」(中央バス)のバス停がある。
北海道
恵開拓
北海道
石山開拓
北海道
駒岡開拓
駒岡開拓 01-106-2
①調査日 令和元年9月11日
②所在 札幌市南区駒岡
緯度・経度:42.9593875063398,141.358478858470
③地区の沿革 満洲引揚者を主体に樺太引揚者、地元戦災者が昭和22年7月に入植した。
④設置年月日 不明
⑤設置者 22名の個人名が記載
⑥碑文(表面) 開拓碑
⑦碑文(裏面)
開拓史
一、一千三百町歩解放開拓発祥之地
一、元道立真駒内種畜牧場跡米軍接収地区と引揚者同志の活動により解放
一、満州引揚者を主体とし樺太引揚者及地元戦災者が昭和二十二年七月二十日現地に入植
一、開団当初 団長唐木田眞氏外一三○名の人々が衣食住の困難を克服し開拓に従事 開拓の進展と共に団の分離第一開拓農協設立等により組合員の繁栄を計り今日に至る
⑧現在の状況 駒岡地区開拓記念館敷地内で管理されている。
北海道
豊葦町
北海道
恵庭開拓
恵庭開拓 01-231-1
①調査日 令和元年9月10日
②所在 恵庭市恵南
③地区の沿革 不明
④設置年月日 不明
⑤設置者 元村長 大石橋 与作
辰田 光次郎
⑥碑文(表面) 開拓記念碑
戦後領国ヲ失ヒ人多クシテ食少ク荒蕪ヲ拓クヲ以テ緊急ノ国策トス茲ニ於テ日本製鉄ノ退耺者七名相図リ 及川年巳ヲ団長トシ昭和二十二年六月十五日 先人未住ノ高原荒野ニ挑ミ水利ノ難ヲ克服シ千辛萬苦今ニ十歳ヲ経タリ顧ハ人ニ隆替アリト雖モ流行膏血ノ努力ハ荒野ヲ変テ壌土トナス 茲ニ同志ト其ノ成功ヲ祝シ碑ヲ建テ之ヲ後生ニ傳フ
⑦碑文(裏面) 無し
⑧現在の状況 茂みの中に建立されており、現在は立入禁止となっている。登別ネイチャーセンターに碑の写真が寄贈されていることが確認できた。北海道
「開拓之碑」 北海道恵庭市惠南開拓
「開拓之碑」
北海道恵庭市惠南開拓
北海道中部の恵庭市(えにわし)は札幌市と新千歳空港のほぼ中間に位置し、人口は約7万人。交通の便が良いことから、いくつもの工業団地がある。農畜産業も主要産業であり、稲作や酪農のほか、野菜・花き栽培などが盛んに行われている。恵庭の開拓は明治初期から始まり、戦後、緊急開拓事業も実施された(当時は恵庭村)。
1870(明治3)年の高知藩の移住によって開拓が始まり、86年、山口県からの団体移民の入植で本格化した。その後も、同県や石川県、富山県などからの集団移住が続いた。
現在、同市内には「山口県人恵庭開拓記念碑」「富山県人開拓之碑」など数基の開拓記念碑が建っている。
同市恵(え)南(なみ)の寺田牧場(酪農)の敷地内にあるのは戦後開拓の記念碑で、碑銘は「開拓之碑」。両隣には、「馬頭観世音」「牛頭大王」の碑が建っている(写真)。
1945(昭和20)年、陸軍の演習場があった旧・恵庭村桜森地区が解放された。約100戸が入植したが、ほどなく、進駐軍より退去通告があり、48年末までに、全員が立ち退いた。一部の開拓者が恵南に移り住んだ。
「開拓之碑」は、恵南入植30周年を記念して、79年11月に建立された。裏面の碑文には、「昭和二十三年十二月緊急開拓者として原始の森と不毛のこの地に入植せるを似て恵南開拓は始まる 以来同志克く協力相和し幾多の苦難を克服し粒々辛苦風雪正に三十年 瘠薄の火山灰土化して沃野となり営々として業に勤しむ 茲に開基三十年を迎うるにあたり往時を回顧し同志相諮り碑を建て似て記念とす」と刻まれている。
さらに碑文の下段には、13名の開拓者の氏名が記されている。
ここの情報を掲載した「開拓情報」
惠南開拓 「開拓之碑」 01-231-2
①調査日 2019年9月10日
②所在 恵庭市恵南 寺田牧場敷地内
③地区の沿革 昭和20年、陸軍の演習場があった旧・恵庭村桜森地区が解放された。約100戸が入植したが、ほどなく、進駐軍より退去通告があり、23年末までに、全員が立ち退いた。一部の開拓者が23年12月に恵南に入植した。
④設置年月日 昭和54年11月
⑤設置者 13名の個人名が記載
⑥碑名 開拓之碑
⑦碑文(表面) 開拓之碑
⑧碑文(裏面) 國破れて山河あり 窮乏と荒廃の國土の中から祖國再建の使命を擔い昭和二十三年十二月緊急開拓者として原始の森と不毛のこの地に入植せるを似て恵南開拓は始まる以来同志克く協力相和し幾多の苦難を克服し粒々辛苦風雪正に三十年瘠薄の火山灰土化して沃野となり営々として業に勤しむ茲に開基三十年を迎うるにあたり往時回顧 同志相諮り碑を建て似て記念とする。
⑨現在の状況 酪農家の敷地内にあり農家が管理している。
北海道
北広島開拓
北海道
本聚富
本聚富(しっぷ)地区 01-235-1
①調査日 令和7年10月14日
②所在 北海道石狩市厚田区聚富
③地区の沿革
④設置年月日 昭和47年10月20日建立
⑤設置者
⑥碑文(表面)
本聚富(しっぷ)地区の開拓は明治初期にその第一歩が記されたが海浜の砂地農法の困難から挫折第二次大戦後の農地改革制度の進行に伴い地区開拓計画樹立の基本要領にのっとり昭和二十六年地元農民の強い要望で地区計画が樹立併せ買収が行われ再び開拓の鍬が振られた 昭和二十八年二月二十人の入植者で聚富開拓農業協同組合を設立開拓地に力を入れ排水灌漑施設客土農道等の建設工事が進められ開墾工事等の補助事業も短期間に完了昭和三十三年九月には諸工事の落成記念式を挙げたこの事は行政諸官庁の適切な指導と本地区の特殊事情を深く理解された賜である事を特記する。
組合設立以来二十年組合員は終始谷口利行組合長を中心に営農基盤の早期●立と水田酪農の近藤経営による農家経済の安定更に組合の円滑運営に限りない努力と多くの若闘に耐え今日の美しく豊な郷土を築いた。
そして第三期北海道総合開発計画はこの地に新しいスポットを当て飛躍的発展の可能性を示している。
昭和四十七年十月二十日 開拓之碑改築記念に記す
⑦碑文(裏面)
昭和二十六年石山孝一技師の地区計画樹立以来幾多の困難に遭遇せしも當ての不毛の廃地を美田と化せしは関係者諸氏の献●約指導の賜と深く感謝し茲に十周年を迎へ開拓者一同にて此の碑を建立す
昭和三十五年九月二十四日
聚富開拓農業協同組合
創立二十周年記念
入植者 16名、増反者 10名、職員 2名の氏名刻まれている。
⑧現在の状況
北海道






















