北海道・東北地方
青森県
輝ヶ丘
輝ヶ丘 02-408-1
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡東北町寒水山
③地区の沿革 昭和32年6月パイロットファームに県内外から37戸が入植した。
④設置年月日 昭和51年6月10日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 拓殖二十周年記念碑
東北町長 沼田 ●●
⑦碑文(裏面) 私達は昭和三十二年六月十日パイロットファーム寒水A二区現在輝ヶ丘に県の内外より三十七戸入植し幾多の苦難と戦い土と共に生きる喜びを酪農専業に見出し今日の成果を見るに至りました
此れからが真価を問われる事でもあり先駆者として心を新たに一層研鑽努力し良き郷土建設に邁進する事を誓い併せて子孫に幸多き念願して入植二十周年を記念して此の碑を建立する
昭和五十一年六月十日建之
寄付者氏名(8名)入植者氏名(20余名)
⑧現在の状況 地区の集会所敷地で管理されている。
青森県
滝沢平
青森県
豊瀬
豊瀬 02-408-3
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡東北町ガス平豊瀬
緯度・経度:40.88968773924689,141.2548144529513
③地区の沿革 昭和21年4月上北町より入植した。
④設置年月日 昭和50年8月
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 拓魂 刻苦奮闘 三十年を祝う
昭和五十年八月 衆議院議員 米内山義一郎
⑦碑文(裏面) 終戦後の混乱と食糧難に哀ぐ昭和21年4月25日上北町より当地に入植不毛の大地に挑み山菜の粥を食し鍬一丁に命を賭けて困難辛苦の境地を超え昭和34年入植の国営機械開墾の拓友と共に夢を追い 30年を迎える茲に入植と部落創立三十周年を祝賀記念する
昭和五十年八月 日 建之 (入植者氏名20余名)
⑧現在の状況 地区の集会所敷地内で管理されている。(豊瀬婦人ホーム)青森県
北栄
北栄 02-408-4
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡東北町夫雑原 北栄豊ヶ丘
③地区の沿革 昭和31年国営パイロットファームとして、我が国最初の機械開墾により96戸が入植した。
④設置年月日 昭和50年8月10日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 創拓之碑
吾等の郷土北栄は昭和31年国営パイロットファームとして新方式の開墾工事が行われた我が国最初の機械開墾地である
同士96戸は希望を抱いて県の内外よりこの地に入植し営農に没頭して今日に至ったがその間に貿易の自由化経済情勢の急変などあり苦難のうちに混同農法から酪農専業に移行し漸くにして目覚ましい経営の発展と生活の安定を見るに至ったが尚改善すべき問題も少なくない
此の度同士相計り入植20周年を記念してこの碑を建てるに当たり一同決意を新たにして理想郷の実現のため邁進することを誓うものである
昭和五十年八月十日
北栄豊ヶ丘入植者一同
⑦碑文(裏面) 入植者氏名 80余名
⑧現在の状況 地区共同利用施設敷地で管理されている。青森県
上弥栄
青森県
庄内(芋ケ先開拓地)
庄内(芋ヶ先開拓地) 02-411-2
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡六ヶ所村倉内芋ケ崎 庄内集会所
緯度・経度:40.88442840526498,141.269734481028
③地区の沿革 山形県から海外に移民した庄内地方出身の各開拓団義勇隊復員軍人等を主体に昭和22年5月22日先遣隊31名、更に翌春35名の本体を加え総勢65名が入植した。
④設置年月日 平成9年5月22日
⑤設置者 庄内酪農農業協同組合
⑥碑文(表面) 拓魂如牛行
青森県知事 木村守男
入植50周年記念
平成9年5月22日
庄内酪農農業協同組合
⑦碑文(裏面) 庄内酪農農業協同組合
正組合員名(50余名)
⑧現在の状況 庄内集会所敷地内で管理されている。青森県
倉内
倉内 02-411-3
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡六ヶ所村倉内笹崎 睦栄集会所
③地区の沿革 国営機械開墾地区 倉内地区として、昭和34年農地開発機械公団によって機械開墾が実施され、47戸は3ケ町村に分散入植した。
④設置年月日 昭和54年4月1日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 酪農健土
六ケ所村村長 古川 伊勢松
⑦碑文(裏面) 入植者氏名 30余名
当地区は 国営機械開墾地区 倉内地区として昭和34年農地開発機械公団によって機械開墾が実施され私ども47戸は3ケ町村に分散入植して厳しい自然条件に加え過酷な労働と極限の耐乏生活に屈することなく現在に至りました
此の間15戸は不幸にして現地を去りましたが北部上北一帯はむつ小河原工業開発事業の推進による農工●進の新時代を迎えようとしております
今後は初心を忘れることなく研鑽努力して初期の目的達成に邁進する覚悟であります 入植20周年にあたり各部落の繁栄を祈念して建立する
昭和五十四年四月一日 建立
⑧現在の状況 地区の集会所敷地内に立地し管理されている。
青森県
庄内
庄内 02-411-4
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡六ヶ所村倉内芋ケ崎 庄内霊園内
緯度・経度:40.8819498054415,141.2823275040197
③地区の沿革 山形県から海外に移民した庄内地方出身の各開拓団義勇隊復員軍人等を主体に昭和22年5月22日先遣隊31名、更に翌春35名の本体を加え総勢65名が入植した。
④設置年月日 昭和52年5月22日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 牛歩確実也 青森県知事 竹内俊吉
⑦碑文(裏面) 当組合は戦前に於ける山形県の文郷計画により海外に移民した庄内地方出身の各開拓団義勇隊復員軍人等を主体に昭和22年5月22日先遣隊31名が此の地に幕舎を設営して入植の第一歩を記し更に翌春35名の本体を加え総勢65名により庄内開拓農業協同組合として23年9月3日発足した。当時の緊急開拓事業は海外からの引揚者及び復員軍人の民生安定と食糧増産を目的として進められたが自然は勿論当時の社会条件は現在に比べて言語に表すことが出来ない程きびしい環境の中で雑穀馬鈴薯等を主に栽培し自給自足をはかりながら一鍬一鍬開こんがなされ農地の拡大部落建設がなされた。その苦労の甲悲あってようやく割当ての農地に畜力が取入れられ本格的な畜力農法により寒地畑作営農が軌道に乗り出した昭和28年、当地を襲った大冷害は雑穀はもとより馬鈴薯まで枯死する程壊滅的な霜害に見舞われて、それを契機に草地型酪農に移行した。満州以来の団長である佐藤繁作氏が初代組合長として入植以来困苦欠乏に耐えながら一致団結して、創造の未来を切り拓き豊かな村を造る入植の目的に向って組合運営が今日まで続けられ、農林大臣賞 朝日農業賞の栄誉に浴しながら僚友開拓農協と共に本地域に新しい産業として酪農を定着させ今日に至っている。これこそ果てしない人の力人の知恵協同のきずなにより創造されたものでありこれぞ眞の開拓である。此の記念すべき入植30周年に当り先達の偉業をたたえ人の力の偉大なることを改めて認識し新しい歴史の流れの中にも常に開拓が永遠に続くものであることを伝えたい。
庄内開拓農業協同組合入植者氏名(60余名)
入植30周年記念事業実行委員長 土田浩
昭和五十二年五月二十二日建立
⑧現在の状況 地域の霊園敷地内で管理されている。
青森県
六原
六原 02-411-5
①調査日 令和元年7月26日
②所在 六ヶ所村大字倉内芋ケ崎 六原集会場
緯度・経度:40.8760532110699,141.3185652530194
③地区の沿革 国営上北機械開墾地区第三芋ケ崎地区として昭和31年に開墾され、県の内外から37戸が入植し、10年を経て酪農専業の開拓地なる。
④設置年月日 昭和50年10月
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 大地と共に
自然とたたかい 自然と調和し 技術をのばし 力をあわせ ここまでやってきた 本番はこれからだ
青森県知事 北村正哉
⑦碑文(裏面) 当地区は国営上北機械開墾地区第三芋ケ崎地区として昭和31年開墾が実施され私共37戸は県の内外より入植し混同経営による辛苦の10年を経て酪農専業化を計り今日に至りました
この間青森県朝日農業賞その他数々の栄誉に輝き先駆者としての自覚と誇りをもって初志を忘れず研鑽努力理想郷建設に邁進することを誓い併せて子孫ぼ幸い多き念願入植20周年を記念する
昭和五十年十月吉日 建之
入植者26氏名 寄付者氏名
⑧現在の状況 地区の集会所の敷地内で管理されている。青森県
倉内
倉内 02-411-6
①調査日 令和元年7月26日
②所在 上北郡六ヶ所村倉内笹崎 酪農会館
③地区の沿革 六ケ所村、野辺地町、東北町の3町村に跨る旧陸軍の軍馬補充部用地、宮内省の林地が解放され、昭和21年から目ノ越、豊前、千歳、豊瀬、豊畑地区の開拓者が23年10月倉内地区開拓農業協同組合を設立、25年には柵、豊原地区の入植が開始された。厳しい環境の中で雑穀、換金作物等の栽培を行っていたが、28、29年と冷害によって壊滅的な被害を受け、乳牛の導入が試みられた。酪農経営が地域の基幹産業となり、昭和51年に倉内地区酪農農業協同組合に名称変更をした。
④設置年月日 昭和53年10月28日 (30周年)
⑤設置者 倉内地区酪農農業協同組合
⑥碑文(表面) 酪農楽土
青森県知事 北村正哉書
倉内地区酪農農業協同組合 設立50周年記念
⑦碑文(裏面) 当地区旧陸軍省軍馬補充部が所管する倉内字笹崎及び野辺地町字向田と宮内省帝室が所有する東北町字五十嵐と字ガス平を併せ約五○○○haに及ぶ広大な土地を軍用馬の育成地とし利用していたが 昭和二十年八月第二次世界大戦が終了した直後 旧陸軍省の所管する用地は大蔵省へ所管替となり宮内省の所有する土地は農林省へ所属替となって当時の重要国策であった食糧増産のために開拓事業が実施されることになり 私ども県の内外から入植して約五○○○haに及ぶ広大な原野の開拓に挑んだのであります。しかるに大自然の猛威は想像に絶し 終戦直後の食糧不足と苛酷な労働により極限の耐乏生活となったが組合員は日夜の別なく任務の遂行に努力したのであります。
建設 営農等各種資材の不足に悩まされながら住宅建設も一応完了して一意専心耕地面積の拡大に努力中のところ 昭和二十八九年の二ヶ年に亘る東北地方を襲った大冷害により当地区の作物は壊滅的な打撃を受け 従来の雑穀経営から主畜経営へと転換を余儀なくされたのであります。入植以来幾多の自然障害加え六ケ所村・東北町、野辺地町内の三ヶ町村に及ぶ広範囲な当地区は道路の不備から生産物の搬出にも困難を極め、個人経営や組合運営にも重大支障をきたしたため 昭和三十二年当地区の再開発計画が国・県・県議会・関係町村の絶大な御協力により 農林省において異例の措置であったが承認され再開発事業を行い明るい希望を見出すことか出来たものであります。又昭和三十八年、森林開発公団の指導により五○○haに及ぶ植林事業が実施され皆伐された昿野に再び木々の緑がよみがえったのであります。昭和四七年むつ小川原湖開発事業により当地区内に新住区が設定され農村文化の中心地として生活環境が整備され飛躍的に発展しようとしております。苦節三十年にして歴代組合長をはじめ 役職員、組合員一同の努力が稔り今日の喜びを迎えることに感慨無量なるものがあります。
しかしながら入植当初は二○四戸数えた組合員は一三二戸となりました。今後は初心を常に忘れることなく 過去の貴重な経験を通じて研鑽努力を誓い 併せて組合の発展と子孫の繁栄を念願して組合創立三十周年にあたり建立する。
昭和五十三年十月二十八日
組合創立三十周年記念事業実行委員会
実行委員長、委員、職員の氏名
⑧現在の状況 組合設立50周年記念碑と共に地区内で管理されている。



















