北海道・東北地方
福島県
油井ケ原
由井ケ原開拓 07-461-2
①調査日 令和6年7月22日
②所在 福島県西白河郡西郷村 鶴生由井ヶ原
緯度・経度:37.1769106836389,140.0666763915331
③地区の沿革 昭和21年4月5日、運輸省食糧増産本部白河増産農場によって開墾の鍬が下ろされ、農場長菅野弘氏は、「天地開けてこの方、眠り続けた由井ヶ原の大地を揺すぶり醒ます第一の鍬が本日入れられ、農業生産の扉はここに開かれた。」と述べている。
この白河増産農場も三年後に解散し、引き続きこの地に留まった者を始め、戦後海外からの引揚げ者、県内各地から集まった28戸の入植者をもって、昭和24年2月、由井ヶ原開拓農業協同組合を設立し、詩文の通り厳しい労働も将来に夢を託して、一戸当たり2町5反の開墾完了を目指す毎日であった。
昭和30年4月、隣接した白河報徳開拓農業協同組合と合併、同33年12月雪割橋の完成と共に道路の整備も進み、翌34年全農家の開墾完了を機に開拓農業は飛躍的に発展し、酪農と馬鈴薯の特産地を形成し現在に至っている。
平成8年2月、地縁による団体法人「由井ヶ原愛睦会」を設立し、地域の特 産性を生かした集落事業の運営に当たり、今や由井ケ原開拓は円熟期に入っている。
60年に亘る開拓の歴史を顧みるとき、県及び村当局のご指導ご支援はもとより、開拓の希望に燃え、あらゆる難関を乗り越えて、由井ヶ原を育んで来た先人の業績に感謝の意を捧げ、この碑を建立し、開拓の史実を後世に伝え残すものである。
平成19年4月吉日 由井ヶ原愛睦会 誌
建立委員氏名(6名の氏名が刻まれている。)
建立者氏名(24名の氏名が刻まれている。)
④設置年月日 平成19年4月吉日
⑤設置者 由井ヶ原愛睦会
⑥碑文(表面) 由井ケ原開拓之碑
1.由井ヶ原に来てから50年/よくも生きてきたものぞ/柏の林に笹ばかり/根元作りの小屋を建て/雨風よけて耐え忍ぶ
2.二本の腕が命綱/木の根笹の根掘り起こし/明日の糧にと根限り/荒れ地を開く労働は/額に汗がほとばしる
3.只一筋に働いた/武骨の腕に孫を抱き/無心に笑う顔見れば/すべてを忘れる幸せか/明日も天気だ日が紅い 滝澤正博 作詞
⑦碑文(裏面) ③沿革が記載
⑧現在の状況 碑の横に「福島交通由井ヶ原バス停」がある。
福島県
折籠開拓
折籠(おりかご)開拓 07-483-1
①調査日 令和6年7月22日
②所在 福島県東白川郡塙町
緯度・経度:36.90320629414148,140.4985544542534
③地区の沿革 不明
④設置年月日 昭和3●年●月吉日
⑤設置者 不明
⑥碑文(表面) 折籠菅ノ谷地開拓記念碑
⑦碑文(裏面) 終戦後の甚だ窮す庶民又同じ生等折籠菅の谷地乃内に共同開拓団を結び其第の指導と相待って開拓の途に着き次年共同組合と改組し導念努力して茲に十有八年を閲す而して墾地●●●町を算し成功の喜び●内に溢る轉当●●追想して感無量なり茲に各関係者の厚意を謝●●●●段の成長を念ずと●●
昭和3●年●月吉日
⑧現在の状況 200m位離れた場所に「折篭地区集会所」がある。碑はかなり劣化している。
福島県
2023年10月 福島県浪江町津島・沢先開拓
開拓魂の復活を待つ記念碑
福島県浪江町津島・沢先開拓
福島県浪江町津島(旧津島村)の沢先開拓は、阿武隈山系の日山(天王山と呼ばれる)と太平洋の間に位置し、標高約450㍍にある。浪江町の市街地から北西に20㌖離れている。
45年当時は津島村には300名以上が入植した。沢先地区は村の南側の低温多湿の山間部で、冬には1㍍以上の積雪があった。
入植と同時に住まいの心配があり、かやを使って掘っ立て小屋を作り、食料の心配では、朝明けきらない時より開墾した。
初めは食料難ということで、穀物や野菜の栽培が中心であったが、53、54年の連年の冷害により、酪農が福島県の開拓事業全体の象徴となり、福島県開拓連が酪農事業に積極的に取り組んでいった。牛乳の開拓系統共販体制が強化され、年々数量も伸びていった。
80年に入植35周年の開拓記念碑が建てられ、その15年後に50周年の碑が並んで建った。
11年3月11日の東日本大震災による福島原子力発電所事故で、浪江町全域が帰還困難区域となり、全戸避難となってしまった。
酪農などの畜産経営者は、家畜の処遇を決めてからの遅れた避難であった。
町をあげての懸命の努力で除染等復興の歩みを進め、段階的に避難指示解除の地区が増えてきた。
今年の3月31日に、津島を含む3ヵ所の特定復興再生拠点区域(復興拠点)が避難指示解除となったが、津島地域は約153㌶(1・6%)しか解除とならず、沢先開拓など多くの開拓地が、帰還困難区域のままだった。幹線道路は通行できるが、路地に入ろうとすると通行止めの柵がある。
今後も、帰還希望者は申請して、除染作業を依頼していくこととなっている。
これまで、どんな逆境も乗り越えてきた開拓魂を見つめてきた2代の碑が、静かに開拓者たちの帰りを待っている。
ここの情報を掲載した「開拓情報」
開拓魂の復活を待つ記念碑
福島県浪江町津島・沢先開拓
福島県浪江町津島(旧津島村)の沢先開拓は、阿武隈山系の日山(天王山と呼ばれる)と太平洋の間に位置し、標高約450㍍にある。浪江町の市街地から北西に20㌖離れている。
45年当時は津島村には300名以上が入植した。沢先地区は村の南側の低温多湿の山間部で、冬には1㍍以上の積雪があった。
入植と同時に住まいの心配があり、かやを使って掘っ立て小屋を作り、食料の心配では、朝明けきらない時より開墾した。
初めは食料難ということで、穀物や野菜の栽培が中心であったが、53、54年の連年の冷害により、酪農が福島県の開拓事業全体の象徴となり、福島県開拓連が酪農事業に積極的に取り組んでいった。牛乳の開拓系統共販体制が強化され、年々数量も伸びていった。
80年に入植35周年の開拓記念碑が建てられ、その15年後に50周年の碑が並んで建った。
11年3月11日の東日本大震災による福島原子力発電所事故で、浪江町全域が帰還困難区域となり、全戸避難となってしまった。
酪農などの畜産経営者は、家畜の処遇を決めてからの遅れた避難であった。
町をあげての懸命の努力で除染等復興の歩みを進め、段階的に避難指示解除の地区が増えてきた。
今年の3月31日に、津島を含む3ヵ所の特定復興再生拠点区域(復興拠点)が避難指示解除となったが、津島地域は約153㌶(1・6%)しか解除とならず、沢先開拓など多くの開拓地が、帰還困難区域のままだった。幹線道路は通行できるが、路地に入ろうとすると通行止めの柵がある。
今後も、帰還希望者は申請して、除染作業を依頼していくこととなっている。
これまで、どんな逆境も乗り越えてきた開拓魂を見つめてきた2代の碑が、静かに開拓者たちの帰りを待っている。
福島県浪江町津島・沢先開拓
①調査日 令和6年7月23日
②所在 福島県双葉郡浪江町南津島
緯度・経度:37.5509864333433,140.7978903940430
③地区の沿革 不明
④設置年月日 ア 昭和55年10月11日
イ 不明
⑤設置者 ア 澤先開拓記念碑建設委員
イ 50周年記念役員
⑥碑名 ア 「開拓碑」
イ 「沢先開拓入植50周年記念碑」
⑦碑文(表面) ア 昭和20年戦は終わった。緊急開拓の発足とともに私たちはここ天王山国有林の一角澤先地内に入植する。爾来30有余年は夢のように過ぎた。
笹小屋に住み大石を転じ木の根っこと取りくみ昼夜の別なく一鍬一鍬と開墾を続ける。●●●収穫物は少なく幾度か挫折感に迷う。昭和27年土地の売り渡しを受けて自分たちの土地となる。されど苦難は続く。同志相励まし相扶け情熱を燃やしてひたすら開拓の道を歩む。
昭和34年待ちに待った電気が導入され、各戸に電燈がともる。やがて荒地は耕され草地は拓け今や農用地60余町歩林地60町に及ぶ。大型畜舎鶏舎が点在し、乳を搾り仔牛は生まれ鶏卵は大量に生産され、ここに永住の地を築く。
嗚呼、だれが入植当時今日を想像したであろうか。この姿を見ることもなく他界された同志各位の冥福を祈り不撓不屈の拓魂を子々孫々に伝え豊かな郷土の発展を祈念し、今改めて30有余年の苦闘を記念するため茲に開拓碑を建立する。
昭和55年10月11日
澤先開拓記念碑建設委員撰
福島県議会議員立原太吉書
※下段に「沢先開拓入植者」として指名が刻まれている。
イ 沢先開拓入植 五十周年記念碑
衆議院議員 田中直紀 書
⑧碑文(裏面) ア なし
イ 50周年記念役員15名の氏名が刻まれている。
贈 三瓶石材 三瓶 明雄
⑨現在の状況 「開拓碑」と「沢先開拓入植50周年記念碑」が横並びに建立されている。福島ダッシュ村の近く。
福島県
豊栄開拓
豊栄(ほうえい)開拓 07-564-1
①調査日 令和6年7月24日
②所在 福島県相馬郡飯舘村前田豊栄
緯度・経度:37.73260523151531,140.6877367053368
③地区の沿革 昭和23年11月に入植。 入植者19名。
④設置年月日 昭和48年11月1日
⑤設置者 福島県開拓農業協同組合連合会会長
⑥碑文(表面) 豊栄開拓の礎 (福島県知事木村守江書)
⑦碑文(裏面) 此の豊栄開拓地は山形県出身満洲開拓引揚者の入植予定地として農林省中央指定地区の認定を受け、前国有林46.47林班内50年生赤松の晝尚暗い造林地なりき昭和23年11月1日元満洲開拓者及海外引揚者同志相集ひ自治の場又将来の墳墓の地と定め戦後の食糧危機と物資不足の中艱難辛苦欠乏に耐え組合長を中心に相励し●●只管い開拓の道に昼夜の分けなく専念し自治と子孫繁栄の礎石ならんと共存共栄を旗印として筆舌に着きし難きこの百難を克服し今日に至る此の間時勢は変転し止むなく離農せる者亦志半にして病に斃るる者ありここに入植25周年を迎えるに当り此の開拓の歴史を永久に子々孫々に伝えんと入植せる者を記名して此の碑を建立す。
昭和48年11月1日立建
下段に入植者19名の名が刻まれている。
施工者 佐藤辰男
福島県開拓農業協同組合連合会会長
吾妻千代吉 謹書
⑧現在の状況 近くには山津見神社(相馬郡飯舘村佐須字虎捕266)がある。









