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開拓記念碑調査事業

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北海道・東北地方

秋田県

一丈木

アクセス

 秋田県仙北郡美郷町(旧千畑(せんばた)町)の千畑開拓は、花火で有名な大曲の東に位置する。

当地区は標高が100~120mの緩傾斜地なので、冬の寒さと豪雪は厳しいものがあった。

土壌は腐植質に富む、比較的条件が良い土地だったが、地域によっては酸性の痩せた土地も見受けられた。

この開拓地は、40年から12戸が入植していたが、戦後46年からは第二次として111戸が入植した。

当初は、雑穀、ジャガイモ、大豆などを栽培したが、なかなか生活できる状況までいかず、出稼ぎ等に出る農家も少なくなかった。

やがて、酪農や肥育牛などの畜産農家も増えてきて、一丈木地区などは酪農が一時期主流になっていた。56年に暁、一丈木など4つの組合が合併して千畑村開拓農協が設立された。

この開拓地の最大の問題点は水の確保であった。井戸を掘っても一滴の水も出ない。雨水を溜めたり、川に水を汲みに行く日々が続いた。

52年、待ちに待った田沢疎水が通水し、皆の喜びは計り知れないものがあった。これにより、念願であった水稲が作付けできるようになり、ハイペースで田園地帯が広がっていった。

ところが、70年代になると、増産体制から一変、減反政策へと猛烈な逆風が吹いてきた。ここで挫けないのが開拓農家であり、地道な努力を積み重ねながら今も歩み続けている。

83年に、役目を終えた千畑村開拓農協が解散し、記念に「拓魂」碑が一丈木公園に建てられた。

ここの情報を掲載した「開拓情報」

2026年6月 秋田県・千畑

一丈木(いちじょうぎ)  05-212-

 

①調査日  平成29年6月29

②所在  大仙市千畑町一丈木台上

緯度・経度:39.4671660816840,140.6066669801602

③地区の沿革  昭和15年戦時中の食糧不足を補うため暁地区に12戸入植。戦後の緊急開拓事業等で暁、一丈木、高野、曙地区に昭和21111戸が入植。千畑開拓農業協同を組織した。

④設置年月日  昭和5810

⑤設置者  千畑開拓農業協同組合 開拓者

⑥碑文(表面)  拓魂 千畑開拓記念之碑

         千畑村長 坂本 喜助 書

⑦碑文(裏面)  昭和十五年戦争による食糧不足を補うため第一暁に十二戸第一次入植、昭和二十年敗戦を迎え国策として緊急開拓事業等、農地改革の実施により昭和二十一年入植、総戸数百十一戸苦闘の結果、田地百八十町歩、畑地六十町歩の開墾を成し遂げた記念に之を建立する。

昭和五十八年十月建立

穂芒の曠野に汗と力打つ 辛苦に耐しつ幾雪をの 緑な大地らに拓けり いま豊穣な夢満ちる あゝ我が鎮魂永遠に伝えん

千畑農業協同組合長 綱干彦一作

⑧現在の状況  一丈木公園内で管理されている。

秋田県

作山

作山  05-212-

                   

①調査日  平成29年6月29

②所在  大仙市六郷町字北明天地

③地区の沿革  満州での経験と志を同じくした15名が入植した。

④設置年月日  昭和3712月1日

⑤設置者  開拓者

⑥碑文(表面)  頌徳 中野金蔵 翁之碑

秋田県知事 小畑勇二郎謹書

⑦碑文(裏面)  中野金蔵翁は明治三十二年十二月十日千屋村に生まれ長じて六郷町高田中野氏に入婿。農業に専心当時の国策に沿い王道楽土の大きな希望に燃えて満州に渡り開拓に大いに活躍した。

祖国敗戦に依り幾多の辛苦の末二十一年引揚、同二十三年来の経験と夢を活かして六郷町作山に入植を計画。志を同じくした戸嶋忠太郎、深沢良次、髙橋鉄治、藤岡辰治、伊藤富太郎、髙橋専助、伊藤東五郎、中野忠治、小林宣之助、山下源治郎、髙橋金司、伊藤寅吉、伊藤政司、加賀谷松太郎、石井政夫等十五名と共に作山開拓農業協同組合を組織し、その組合長となり常に組合員の先頭に立ち陳情交渉を続けその熱烈さ真面目さを畏敬され、美田となるべき三十六町五反歩の地を得。

組合員を励まし日夜苦楽を共にし、田沢疎水開拓農業協同組合連合会理事、熊野神社氏子等世話役等すべての部落の中心としてその家族七十八名(入植時三十三名)の敬愛を一身に受けていた。

三十四年部落共同作業所も竣工し黄金波うつ仙北穀倉の農業増産は老身以て常に実行した翁の努力に負う所大なるものがあった。昭和三十六年十二月二十九日病の為世を去った翁の功績を永遠に人々の胸に刻み止めようと組合員全員建設委員となりこの碑を建立した。

作山開拓農業協同組合

六郷町寺町 石工 山田佐太郎

⑧現在の状況  作山児童館敷地内で管理されている。

秋田県

六ツ金

六ッ金  05-212-

 

①調査日  平成29年6月29

②所在  大仙市六郷町北明田地

③地区の沿革  民有地61.47㏊に28戸が入植、六ッ金開拓農協を組織する。

④設置年月日  昭和62年8月

⑤設置者  明田地部落一同

⑥碑文(表面)  田沢疏水 入植開拓記念碑

⑦碑文(裏面)  昭和十五年 秋田県営田沢疏水発足 昭和十六年第一次入植者 十五戸 昭和二十一年第二次入植者 十三戸 後期は国営事業となる 其の後二百五十町歩の開田となる 明田地開拓事業を後世に残す

第一次入植者十五名(名前省略)

第二次入植者十三名(名前省略)

昭和六十二年八月  明田地部落一同 建之

⑧現在の状況  明田地会館敷地内で管理されている。

秋田県

海士剝

アクセス

海士剥(あまはぎ)  05-407-

 

①調査日  平成29年6月30

②所在  由利郡西目村沼田字新道

緯度・経度:39.3603300663714,140.0151742698318

③地区の沿革  大東亜戦争の終戦により樺太、満州よりの外地引揚に村民いたく同情して燐保館を建設収容して再起を計り次いで村内の先駆者と共に開拓団を結成。 開拓創始者は当時 西目村村長 佐々木孝一郎  入植者 二十三戸

④設置年月日  昭和29年7月

⑤設置者  開拓者

⑥碑文(表面)  開拓のいしずえ たれと神佛の み名をかかげて 弥誦し まつる

開拓紀工之碑

題字 秋田県知事 池田徳治書

秋田県由利郡西目村沼田字新道●

面積 六十四町五反九畝歩

開拓年月日 昭和二十一年五月一日 施工着工

昭和二十七年六月十日 竣工

経費

建設工事費 六百六七万三千円

営農住宅資金 百四十五万三千円

沿革

大東亜戦争の終戦により樺太、満州よりの外地引  揚に村民いたく同情して隣保館を建設収容して再起を計り次いで村内の先駆者と共に開拓団を結成開始した。

開拓創始者 当時 西目村村長 佐々木孝一郎

入植者 二十三戸(入植者名)

御うた 暁鳥 敏先生

文並書 千楠 畠山富男

昭和二十九年七月  開拓者一同建立   高橋勘之助 刻

⑦碑文(裏面) 不明

⑧現在の状況  豊栄会館の敷地内で管理されている。

山形県

幸生

アクセス

幸生(さちう)  06-206-

 

①調査日  平成291010

②所在  寒河江市幸生

緯度・経度:38.44936219084607,140.206413991900

③地区の沿革  山形県戦後開拓誌(開拓20周年記念誌)等において調べるも特記事項なし。

④設置年月日  昭和52

⑤設置者  幸生地区開拓関係者

⑥碑文(表面)  謝恩碑

当地開拓の指導者であった大沼正記氏に対する感謝の念について、開拓30周年を機に功績を後世に伝えるもの。

⑦碑文(裏面) 入植者氏名

⑧現在の状況  地域内で管理されている。(周辺の風景)

山形県

山形県東根市・若木

アクセス

戦争に負けず果樹王国に

 山形県東根市にある若木(営団)開拓は、標高120mほどの盆地で、山形空港の東に位置し、南側にある陸上自衛隊神町駐屯地の一部も、かつては開拓地であった。

 この若木地区は戦中の43年に農地開発営団(農地開発するための国家代行機関)により開拓が進められ、39名が入植した。

 配分地は広大な原野と松林で、道路も自らの手で切り開き、用水は遠くの堰(せき)を利用し、冬には雪を溶かして飲用するほどだった。重い唐(とう)鍬(くわ)による開墾作業は進まず前途多難を思わせたが、その苦境を打開したのは開拓者同志の強固な共同精神であった(碑文より)。

 ところが、戦況が悪化してくると、44年に日本海軍航空隊(予科練)が建設され、せっかく開墾した開拓地の一部が接収された。加えて新たに15戸が編入され、少ない土地に再分配されることとなった。

 終戦間近には3度の空襲を受け、恐怖のどん底に突き落とされた。

 やっと終戦となり、戦災者など15名が新たに編入された。

しかし、46年にはアメリカ軍が進駐し、またも開拓地が接収された。20戸が強制立退きとなり、主食であるジャガイモや、わずかな現金収入を見込んだスイカ畑がブルで踏みにじられた。

当初1戸当たり4町歩あった土地が、1町6反までに減ってしまった。土地の返還を求めて国や県に執拗に陳情し、54年にはアメリカ軍基地の正門前に座り込みを強行した。アメリカ軍は56年に撤退したが、日本の自衛隊が駐屯することに。大変な努力の末、57年に32町歩が返還された。

当地では明治からリンゴ栽培が盛んで、年々技術が進歩し、品種も多様になってきた。その他に、ブドウ、洋ナシ、サクランボなどにも力を入れてきた。現在では「果樹王国ひがしね」の一翼を担っている。30年に心のよりどころとして豊栄神社を建立した。74年には神社敷地内に入植30周年の記念碑が建てられた。

ここの情報を掲載した「開拓情報」

2024年8月 山形・若木

若木(おさなぎ)  06-211-

 

①調査日  平成291010

②所在  東根市若木通り

緯度・経度:38.4082460119667,140.3951015056752

③地区の沿革  若木原に同じ

④設置年月日  昭和424

⑤設置者  不明

⑥碑文(表面)  拓魂碑  碑文は判読できず。

⑦碑文(裏面)  入植者の出身地と氏名

⑧現在の状況  若木開拓歴史資料館敷地内に位置し、周辺は農協の選果場などが集積し、開拓地の中心部をなしている。ただし、営団開拓50年史においては本碑の記載が無く由緒は不明である。

山形県

若木原

若木原  06-211-

 

①調査日  平成291010

②所在  東根市神町営団中通り

③地区の沿革  ・若木開拓農業協同組合 昭和18年より現在の山形空港付近に入植(農地開発営団事業)するも、翌年には海軍航空隊の飛行場建設のため、現在地に移転

・再入植となった。当初よりりんご栽培が経営の主体となっており、当開拓地の先導的役割を担う。

・若木第一開拓農業協同組合 近隣の二・三男を中心に結成された。

・若木協和開拓農業協同組合 戦災被災者など非農業者も多く、米軍の駐屯により農地の接収・移転などを経験し、基地返還運動の中心的役割をはたした。

④設置年月日  昭和499

⑤設置者  東根市神町営団区 若木開拓農業協同組合 若木第一開拓農業協同組合

若木協和開拓農業協同組合

⑥碑文(表面)  開拓碑

⑦碑文(裏面)  入植者氏名

⑧現在の状況  開拓地の中央部に位置し、豊栄稲荷敷地内で三地区(農協)が共同して建立している。周辺は果樹(りんご)園である。

山形県

東若木

アクセス

東若木  06-211-

 

①調査日  平成291010

②所在  東根市野川

緯度・経度:38.4053372569045,140.4246274335123

③地区の沿革  若木三地区とは別に戦災者を中心とした入植者により結成されたが、米軍基地による耕地接収など苦難が多かった

④設置年月日  昭和5711

⑤設置者  東若木開拓農業協同組合

⑥碑文(表面)  拓魂

山形県知事 板垣 清一郎 書

⑦碑文(裏面)  由来 入植者出身地氏名

⑧現在の状況  公民館(豊若稲荷)敷地内に設置されている。碑の上部に一部欠損が見られる。

山形県

新山寺

アクセス

新山寺  06-341-

             

①調査日  平成291010

②所在  北村山郡大石田町田沢

緯度・経度:38.5452355957184,140.3777290695550

③地区の沿革  山形県東村山郡山寺村(昭和31年町村合併により廃止)出身の引揚者を中心に入植した。

④設置年月日  昭和511018

⑤設置者  新山寺地区一同

⑥碑文(表面)  入植記念碑

⑦碑文(裏面)  拓魂三十周年記念 昭和二十年十月十八日終戦ニ伴ウ復員者引揚者離職者中ノ希望者ヲ以ッテ入植唐鍬振ッテ開田開畑シ 同二十五年二月農地ノ賣渡ヲ受ケ同二十七年度開墾ヲ完了同三十年大石田町横山地区農業委員会ノ指導ニヨリ農地ノ交換分合ヲ実施シ作業ノ効率化を計リ同四十八年横山土地改良区ノ圃場整備事業ニ卒先シテ参加初年度ニ之ヲ実施シ近代農業ヘノ第一歩ヲ踏出シ同五十年度以ッテ開拓行政ガ廃止サレ今日ニ至ル

昭和五十一年入植記念ニ当リ之ヲ墨ス

新山寺地区一同

昭和二十年十月十八日入植者氏名

⑧現在の状況  公民館内地内に立地し、大石田町の文化財指定となっている。

山形県

稲沢

稲沢  06-361-

 

①調査日  平成291011

②所在  最上郡金山町有屋

③地区の沿革  不明

④設置年月日  昭和3310

⑤設置者  不明

⑥碑文(表面)  開拓

⑦碑文(裏面)  昭和3310月建立

⑧現在の状況  中山間地の谷筋に田園が開けた地域である。忠魂碑他1基が隣接している。
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