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開拓記念碑調査事業

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中国・四国地方

愛媛県

愛媛県西予市大野ヶ原

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愛媛県西予市大野ヶ原開拓

愛媛県と高知県との堺にある四国カルスト()は、日本三大カルストの一つ(他に山口県の秋吉台、福岡県の平尾台)。標高は1100~1400㍍と最も高い。東西約25㌔で、最西端の高原に西予市大野ヶ原開拓地がある。

注:石灰岩が雨水や地下水などで溶けてできた地形。

46(昭和21)年、愛媛開拓増産隊15名が未開の原野に入り、入植を試みたのが始まり。49年、大野ヶ原開拓農協設立。50年に国から開拓地として認可され、同年から63年まで入植が続いた。だが、高冷地で冷害や台風被害などが多く、厳しい自然条件だった。石灰岩が地表に露出し、土壌は強酸性で作物が思うように育たなかった。そのため、多数の離農者が出た。

同農協は、冷涼でも栽培が比較的容易な牧草地とする計画を立て、酪農経営への移行をめざした。59年から乳牛が導入され始めた。以降、徐々ながら草地を基盤とした高原酪農が軌道に乗っていった。

現在、県内でも有数の酪農地帯となっている。素晴らしい景観に加え、牛乳・乳製品の店などもあり、観光客が多く訪れる。

開拓地を見守るように記念碑がある。77年の建立。力強い筆勢で「開拓魂」と刻まれている。下方の碑文には開拓の沿革が記してあり、中頃に「幾多の障害を克服し かつての熊笹の昿野は栄養豊かな牧野と化し 放牧牛の群れが長閑に草を喰む さながら絵の如き 大規模近代農業の基盤確立の偉業を成せり これ一偏に不撓不屈開拓魂の精華」とある。

 

ここの情報を掲載した「開拓情報」

2019年12月  愛媛・大野ヶ原

大野ヶ原  38-214-

 

①調査日  令和元年5月23

②所在  西伊予市

緯度・経度:33.4798831938637,132.8743050417427

③地区の沿革  四国カルスト山頂に近い11001400米の開拓地に72戸が入植した。

④設置年月日  昭和5210月1日

⑤設置者  入植者

⑥碑文(表面)  開拓魂

大野ヶ原開拓は昭和二十一年増産隊の若人が無住の原野に踏み入り開拓を試みしに始る 二十二年実験農家七戸が入山 茅屋で雨露を凌ぎ開墾の鍬を下した 開拓地区計画が樹立され二十五年本格的に事業が始まる 新天地を求め次々に同志集い六十三戸が定住せり 斧音山野にこだまし活気漲る されど秘境の地の開拓の道は遠く険しく 苦難想像を絶する酷寒零下十八度荒れ狂う猛吹雪 乏しい食糧生木で飢えと寒気を凌ぎ 木を倒し根を掘り一鍬一鍬拓き土壌を改良し 稔りの秋を待てど 冷害台風等自然の 猛威は苛酷を極め 収穫皆無の年を重む 生活は極度に困窮し 幾度となく危機にさらされる この試練に屈せず逞しい生命力と英知は高冷地蔬菜栽培で活路を拓き 更に進歩を求め酪農経営に踏み切り 幾多の障害を克服し かつての熊笹の曠野は栄養豊かな牧野と化し 放牧牛の群れが長閑に草を喰む さながら絵の如き 大規模近代農業基盤確立の偉業を成せり これ一偏に不撓不屈開拓魂の精華であり 大勢の方々の善意と関係機関の篤い指導支援の賜である 

茲に風雪三十年の足蹟を永久に留め後世の大成への指標たらんことを願って此の碑を建立するものである

昭和五十二年十月一日  関係者29名氏名

⑦碑文(裏面)  無し

⑧現在の状況  地区内で管理されている。ミルク園の斜め前の公園に建立。

高知県

高知県南国市・日章開拓地

アクセス

記念碑と記念広場
高知県南国(なんこく)市の高知空港の前身は、1944(昭和19)年に設置された日本海軍の日章(にっしょう)第一海軍航空基地。空港と南西の水田地帯との間に、日章開拓農協が建立した記念碑などがある。
41年、海軍は香美郡三島村(当時)に航空基地を建設するため、2184反の土地を接収。263戸、1500人余りの住民は急遽、退去を命じられた。翌年、人口が激減した三島村は、同郡の田村、立田村と合併し、日章村(現・南国市の物部川河口部)が発足した。
終戦後、一部の農地が元・住民に返還された。農地に戻すために、住民らは日章開拓農協を設立。組合員は、失った古里の再興のため、汗にまみれ、ひたすら開拓の鍬(くわ)をとった。
しかし、国と県は、859反を高知大学の設立用地、空港用地などに決定。組合員の全土払い下げの悲願は断たれた。さらに83年、滑走路の延長や空港敷地の拡張が行われた。2年後、開拓農協は解散することになった。
85年3月、農協解散に際し建立された記念碑の刻銘は「開拓記念碑」(写真㊤)。碑文には開拓の沿革が記してあり、末尾に「思えば半生 時の流れには抗し難し 古里再び旧に還らぬ いまはただ来る世の礎石となりせめて学究の若者達の開ける道と県土夜明けの空の道とならんことを」と刻まれている。
近くに、日章開拓農協が同年同月に設けた広場があり、石碑「記念広場」が建立されている(写真㊨)。裏面には、唱歌「ふるさと」の歌詩と広場の由来が記されている。

ここの情報を掲載した「開拓情報」

2019年9月 高知・日章開拓地

日章(にっしょう)  39-204-

 

①調査日  令和元年5月22

②所在  南国市

緯度・経度:33.5389430083254,133.6760999084529

③地区の沿革  明治の頃より沃土であったところを昭和16年海軍が接収。戦後改めて開拓する。

④設置年月日  昭和60年3月

⑤設置者  日章開拓農業協同組合

⑥碑文(表面)  

(ア)開拓記念碑 この地は明治二十二年七月物部久枝下島三村が相寄って誕生し香美郡に属した元の三島の里である 沃土は農を興し黒潮に恵まれて文化の香り高く県下屈指の優良村となって栄えた

秋田川の流れは老若に憩を授け鎮守室岡山は白鳳から明治にわたる数多い津波洪水に村人避難の神域となり命山と呼んでその信を集めた

第二次世界戦争の予兆濃い昭和十六年早々日本海軍はここに航空基地を建設す 総面積二一八四反を接収 二六三戸 一五00余の住民ら急遽退去を命ぜられる 人々互いに別れを惜しみ父祖の霊位を抱き慌しく村を去る 翌十七年日章村発足となる 年を経ずして敗れて戦は終り接収土地の還元を見る 縁りの者らは組合をつくり失った古里再興に祈りをこめ 汗にまみれ苦難を乗り越えて只管開拓の鍬をとる 退去を急がれた寸土を守り続けた者達も一つの思いに力をあわせた

しかるにすでに国県は八五九反を高知大学 空港用地と決定し われら農民の全土払下げへの悲願を断つ 続いて工専が開設され さらには今次空港の再拡張となり開拓の面影は潰え去るに至った 思えば半生時の流れには抗し難し古里再び旧に還らぬ

いまはただ来る世の礎石となりせめて学究の若者達の開ける道と県土夜明けの空の道ならんことを茲に組合を閉ざすに当り後世のため碑を建て沿革の大略を誌す

元日章村長 元県会議長 西内四郎 撰書

 日章開拓農業協同組合

 昭和六十年三月

 (イ)記念広場 日章開拓農業協同組合

 高知県知事 中内 力 書

⑦碑文(裏面)

(ア)無し

 (イ)うさぎ追いしかの山 こぶなつりかの川 夢は今もめぐりて わすれかたきふるさと

その昔ここを流れていた貝田川は地域の潤いであり なお懐かしく望郷を呼ぶ

大東亜戦が終った後旧飛行場跡地の開拓を実施してまた日章開拓農協は総てを終り解散するに際し南国市高知県の協賛を得てここに記念の広場を設けた 

往年の夢を追いみんなの憩の場として残りの少ない自然を守り育てようではないか

昭和六十年三月之建

⑧現在の状況

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