九州・沖縄地方
大分県
大分県杵築(きつき)市・三光坊開拓
大分県杵築(きつき)市・三光坊開拓
大分県杵築(きつき)市は国東(くにさき)半島南部に位置し、温暖な気候の城下町。
三光坊開拓は市北部の丘陵地にある。初めに入植したのは満州開拓団から愛媛県に戻ってきた10名の開拓者たち。
満州から46年末に引き揚げてきて、愛媛に戻っていたが、48年にまず男だけ10名が入植してきた。全て人力で、一鍬一鍬耕してきた。家も自分たちで建て、翌年家族がやってきて本格的な開拓生活が始まった。
以前より、愛媛ではミカンは金になることが分かっていたが、苗木を買って成木まで4~5年待つという余裕が当初はなく、とにかく少しでも食べていける、すぐ金になる作物を選んできた。しかし、この丘陵地は強酸性土壌で、芋さえもなかなか芽が出ない、ダイコンもまっすぐ伸びないような土地だった。すぐに売れるスイカが唯一の武器だった。
初めのころはスイカや野菜を換金作物として、堆肥を取るために乳牛を飼ったり、グラジオラスなどの花の栽培を手掛けたりしたがそれほどうまくいかず、やはりミカン栽培は目標として常に考えていた。
数年で割り当てられた1haの8割を開墾し、50年頃からミカンの苗木を植え始めた。
当時の方は、「同年代の人が高校に通う道を、牛糞を拾って歩くのは本当に恥ずかしかった。53年に電気がようやくついてラジオを買った時と、57年にミカンが初成りした時の嬉しさだけは忘れられん」と話す。
58年10月に三光坊開拓農協が設立された。同年杵築市が「柑橘(かんきつ)興(こう)市(し)(柑橘で市を興す)」をスローガンに積極的にミカンの振興政策を講じた。
ミカンの先進県である愛媛から技術者を招いて、懸命に取り組み、一躍ミカンの先進地となっていった。
ミカン栽培に適していたこの土地に、愛媛県を始め多くの人々が移住してきた。
68年にミカン価格が暴落して苦しんだが、75年頃からハウスミカンに重点を置いて取り組んだ。
この地はなだらかな丘陵が多く、ハウスを建てやすいこともあり、大きな成功を収めることができた。
写真の記念碑は、75年6月に建立され、ミカンの郷を見守っている。
ここの情報を掲載した「開拓情報」
大分県杵築(きつき)市・三光坊開拓 44-210-1
①調査日 2018年9月10日
②所在 杵築市大内
③地区の沿革 国東半島南部、愛媛出身の満洲引揚者が丘陵地帯に入植。みかん栽培で成功。
④設置年月日 昭和50年6月
⑤設置者 入植者
⑥碑名 開拓碑
⑦碑文(表面) 開拓 杵築市長 八坂 善一郎
副碑(表面) 開拓史
昭和31年 国県共同で地区買収実施 14●町歩
昭和32年4月 入植配分 同三光坊開拓●結成
昭和33年5月 農林省モデル開拓地●定
昭和33年12月 農地開発機械公団で機械開墾 1,214万
昭和34年4月 住宅及び開拓道路完成 956万●262万
昭和34年7月 三光坊区誕生 電●道● 68万
昭和37年10月 飲用水施設完成 430万
昭和40年11月 入植地売渡登記完了
昭和41年11月 各戸電話導入
昭和47年5月 三光坊開拓農協は県開拓農協と合併
昭和47年8月 幹線道路アスファルト舗装完了 3482万
昭和48年6月 支線道路コンクリ●●完了
昭和50年6月 開拓碑建立
⑧碑文(裏面) 無し 副碑裏 入植者名(約38名)
⑨現在の状況 地区公民館地内で管理されている。
大分県
鹿鳴越
鹿鳴越(かなごえ) 44-210-2
①調査日 平成30年9月10日
②所在 杵築市山香町
緯度・経度:33.4056719683417,131.5115463926640
③地区の沿革 昭和28年より3ヵ年にわたり長野県諏訪郡市一円より、25名が入植した。
④設置年月日 平成17年3月
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 拓魂
山香町長 緒方喜代美
⑦碑文(裏面) 鹿鳴越開拓入植50周年記念の碑
昭和28年より3ヵ年にわたり長野県諏訪郡市一円より、この鹿鳴越の台地の開拓の為、25名の若者が入植した。
塗炭の苦しみに耐えながら、希望をもって開拓に励み、今日の繁栄を築いた開拓一世に感謝し、それに続く二世、三世の更なる奮闘を願う。
入植50周年にあたり、鹿鳴越地区の益々の発展と子孫繁栄を願い、この碑を建立し後世に伝える。
平成17年3月吉日 氏(14名)
⑧現在の状況 西鹿鳴越公民館地内で管理されている。
大分県
陣の辻
大分県
大野原
大分県
花牟礼
大分県
第二大原野
宮崎県
宮崎市高岡地区
宮崎市高岡地区 45-201-1
①調査日 令和7年1月23日
②所在 宮崎県宮崎市浦之名
③地区の沿革 旧宮崎郡高岡町内3地区(高岡、和石、穆佐) ※和石=よれし 穆佐=むかさ
④設置年月日 昭和63年11月3日
⑤設置者 開拓農協組合長 猪子石 巌(いのこしいわお)
⑥碑文(表面) 開拓記念碑
(表面上)くろ土の / 身にしみ入りて / 拓き人 / 星のあかりを / 今日も仰ぎつ
(表面下)昭和二〇年八月十五日、尊い人命を数知れず / 吞み込んで終った第二次世界大戦、長期に亘 / る戦争によって極度に荒廃した国土に、軍人 / 軍属の復員、海外引揚げ等急激な人口増によ / って、更に食糧事情は窮迫の極に達し、最悪 / の社会状況のなか活路を求めて、未開の山林 / 原野に鍬を打ちおろしたのが、昭和二十一年 / 戦後開拓の始まりである、国の開拓施策とも / 相俟って、昭和二十三年開拓農業協同組合を / 設立、高岡、和石、穆佐の三つの組織が誕生 / 専門農協として食糧自給の方向づけが確立さ / れたのである。しかし開拓農業の道のりは誠 / に厳しく、台風災害によって一夜にして収穫 / 皆無となることも度々で、唐芋を主食に水を / 呑み、草の根をかじる悲惨な生活で筆舌につ / くしがたい壮絶なものがあり、正に開拓魂に / よる死闘の連続であったといえよう。苦難の / 四分の一世紀に亘る道程をこの碑にしるし戦 /後開拓不屈のフロンティヤ精神が、後の世の / 農民の意識の中に引継がれていくことを強く / 望むものである。平和と農業の繁栄こそ真の / 幸である。
建立 元開拓農業協同組合長 猪子石 巌
(側面)開拓農協のあゆみ
昭和23年度設立 高岡 和石 穆佐
昭和36年3月
3組合実質合併事務統合により高岡町役場内に合同事務所を開設する
昭和49年3月
開拓農業協同組合再編整備計画に基き整理解散高岡綜合農協に吸収さる
清算人 猪子石 巌 前田 巌 日高 義夫 平田 佐利 理事 加藤 利明
⑦碑文(裏面) 歴代開拓農協長名 開拓地区別入植戸数および入植年度
⑧現在の状況 高岡町久木野集落センター敷地内で管理
宮崎県
えびの市高野
宮崎県
えびの市飯野
えびの市飯野 45-209-2
①調査日 令和7年1月16日
②所在 宮崎県えびの市大字原田
③地区の沿革 不明
④設置年月日 昭和53年5月3日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 拓魂之遠 田島幸雄 書
この地を拓き / この地に生きて / 開拓の史を残さんがため / 同志こぞって / この碑を建立す
昭和五十三年五月三日
(碑文下に入植者60名の氏名が刻まれている)
⑦碑文(裏面) 分校を思う
この地この村、開拓三十周年に / して、昭和五十三年五月この碑を / 建立す。
思えば分校開校昭和二十 / 六年、流れる歳月二十七年、現今 / 正に隔世の感深く、分校沿革は往 / 時の人の辛苦と拓魂を語る。住民 / の土と生活と村づくりの苦闘、子 / 弟教育に挺身せし分校教職員の労 / 苦、一体混溶して今日を築く、こ / こに歴代分校教職員の氏名を刻み て分校を思う
(碑文に続いて霧島分校歴代教職員24名の氏名が刻まれている)
⑧現在の状況 飯野小学校霧島分校(閉校)敷地内で管理
宮崎県
朝日開拓
朝日開拓 45-209-3
①調査日 令和6年3月25日
②所在 えびの市大字東長江浦
緯度・経度:31.991214965365,130.8241432532126
③地区の沿革 不明
④設置年月日 (ア)平成8年4月13日
(イ)平成23年
⑤設置者 (ア)重冨輝明
(イ)碑に記載
⑥碑名 (ア)入植五十周年碑
(イ)拓魂 30周年記念
⑦碑文(表面) (ア)入植五十周年碑
朝日開拓入植五十年の由来
昭和二十一年困惑の世情の中/●於いて入植英知を結集共同/互助の精神と団結で我が朝日開拓に入植し一世及び先達者の意志を受け継ぎ拓魂を堅持した。
施工委員 委員長 重冨輝夫ほか委員15名
施工記念 平成八年四月十三日
石碑提供 重冨輝明
(イ)拓魂 30周年記念
⑧碑文(裏面) 不明
⑨現在の状況 ㈱重冨畜産の近隣に建立。






























