関東地方
栃木県
金丸
金丸(かねまる) 09-210-1
①調査日 平成28年7月12日
②所在 大田原市南金丸
③地区の沿革 復員軍人ら43戸が昭和20年11月に標高150米の風積火山灰土の軍用地跡に入植。陸稲等の畑作を行うも十分な収量がなく、35年頃開田、乳牛も導入された。
④設置年月日 昭和52年4月15日
⑤設置者 組合員
⑥碑文(表面) 拓魂
栃木県知事 船田 譲 書
移りゆく御代となるとも忘れるな 同志とふりし鍬の重さを 竹芳書
⑦碑文(裏面) 大東亜戦争の終結により戦後緊急開拓の国策に応/じ昭和二十年十一月一日旧陸軍飛行場跡地に馳せ/参じた同志四十有余名ここを永住の地と定め帰農組合を経て昭和二十三年五月七日金丸開拓農業協/同組合を設立再生の業に就く 斯くして不毛の地に/生涯を賭けた同志一同の衣食住の生活に責められ/乍らの苦斗は筆舌に尽せぬものありしも燃ゆる斗/魂よく諸難を制し団結と精進ここに三十星霜地元/各位の温情と行政竝に組織の誘引により遂に初志/を貫くことを得 今や過ぎし日の荒野は豊穣の沃/土と化し家畜また明日の栄を謳ふ かくして打ち/樹てし感慨の一郷後人果たして誰かこれを想起せん ここに永年に亘り援助鞭撻を賜はりし方々に対し/感謝の誠を捧げ拓墾の二字に子孫繁栄の祈を籠め/同志一同の名を刻してこの碑を建立す
昭和五十二年四月十五日
金丸開拓農業協同組合組合員一同
組合員の氏名(アイウエオ順)
初代入植者42名氏名 20名氏名
書 元栃木県開拓者連盟事務局長 渡辺寅八
施工 栃木県那須郡黒羽町田町
石工 浅倉一清
⑧現在の状況 南金丸南部公民館地内で管理されている。
栃木県
栃木県・金丸原
栃木県大田原市湯津上の金丸原開拓は、市の南部に位置し、近くには国宝「那須国造碑(なすのくにみやつこのひ)」や、「侍塚古墳」など、日本の歴史上重要な史跡が多く残されている。
この地は標高150m程で、夏は暑く雨が多い。冬は寒く乾燥し、気温がマイナスになることも多い。
45年11月に、金丸原陸軍演習地だった土地を中心に、100名を超す開拓者が入植し、鍬入れを行った。
開墾初年度はジャガイモや陸稲、サツマイモ等を栽培したが、期待通りの収穫は得られなかった。当初は家畜も少なく堆肥も無く、資金不足で土壌改良剤の購入もままならなかった。
この地は、那須火山灰の酸性土壌で、改良は困難だった。48年に金丸原開拓農協が設立され、酸性土壌改良事業などにより、徐々に改良されていく。
49年に開拓営農資金によって北海道から乳牛を導入し、酪農が始まった。入植以来、土壌問題、冷害、風水害等に悩まされ、畑作の不安定さを痛感した。飼料作物なら冷害等の影響も少ないことから、酪農が中核的営農形態となっていった。
70年代に入ると、養豚や肉用牛経営を取り入れる農家も出てきて、着実に広がっていった。
また、果樹栽培も本格化し、梨畑が広がってきた。
64年には当時県が推進していた養蚕が始まり、順調に伸びたが、84年以降は国際的な生糸の需給悪化により衰退した。
また、76年には開拓整備事業による飲雑用水施設が完成し、長年の水不足も解消された。
同年、農協事務所敷地内に、組合員により拓魂碑が建てられた。現在も、拓魂を受け継いだ後継者が頑張っている。
ここの情報を掲載した「開拓情報」
金丸原(かねまるはら) 09-210-2
①調査日 平成28年7月12日
②所在 大田原市湯津上町
③地区の沿革 復員軍人、地元から90戸が昭和20年11月に標高150米の風積火山灰土の軍用地跡に入植。陸稲等の畑作を行うも十分な収量がなく不安定。乳牛の導入で畑作酪農に転換した。
④設置年月日 昭和51年11月23日
⑤設置者 金丸原開拓農業協同組合組合員
⑥碑文(表面) 拓魂 栃木県知事 船田 譲 書
大東亜戦争の終結により國は祖国再建の国策として緊急開拓を実施す これに応じ昭和二十年十一月二十三日かつてはつわもの共の夢のあとであった金丸原陸軍演習場跡地に裸一貫の同志九十余名こヽを墳墓の地と定めて金丸原帰農組合を結成し鍬入れを行い越えて昭和二十三年九月法律の施行により金丸原開拓農業協同組合を設立 盟を新にして再生の大業に踏出す 此の地は那須野が原の一角清流那珂川のほとり遙かに那須の噴煙を仰ぎ見る広漠たる原野にして眺望豊かなれども慣れぬ手に貧しき農具を駆使しての開墾は言語に絶するものあり生きんがための道は険しくまた遠く住むに家なく喰うに食なく加うるに水道路など生活の基盤を整うるに日夜東奔西走一握の稔りに希望を託すれども無情白穂の浪に打拉しがれしこと幾歳ぞされど湧き出ずる斗魂は一歩も退くを許さず辛酸苦斗三十星霜地元先輩諸氏の温情のもと弛まざる同志の団結と努力は行政と組織の手引きにより遂に初心を貫くことを得今や過ぎし日の原野は豊穣の沃土と化し家畜また明日の栄えを謳うかくして打ち樹てしこの一郷後人いつの日にかこれを想起せんこヽに永年に亘り援助鞭撻を賜りし方々に感謝の誠を捧げ拓墾の二字に子孫繁栄の祈を篭め開拓初代の名を刻してこの碑を建立す
昭和五十一年十一月二十三日
金丸原開拓農業協同組合組合員一同
⑦碑文(裏面)
金丸原開拓賛歌 移りゆく御代となるとも
國破裸身故山歸 忘れるな
同志互援三十霜 同志とふりし
悠就不動那須嶺 鍬の重さを
今成我郷金丸原
竹芳山人 作書
開拓初代 90名氏名 4名氏名
⑧現在の状況 金丸原公民館地内で管理されている。栃木県
合会
合会(あいがい) 09-211-1
①調査日 平成28年6月14日
②所在 矢板市高塩町
緯度・経度:36.7890536072914,139.901493486149
③地区の沿革 標高300米の地に12戸が入植。畑作経営であったが気象災害が多く不安定なために開田、乳牛導入、養豚の類型に変った。
④設置年月日 平成12年11月
⑤設置者 記念碑建立委員会
⑥碑文(表面) 開拓
公民館長 添田 文男 書
⑦碑文(裏面) 大東亜戦争の終結に当たり再起をす初代二十名が昭和二十四年合会の地に入植す苦闘の手開墾の傍ら道路・住宅等の建設途中にて病に倒れ又力尽き離農の止む無きに至れる者ありしが二世も成長し社会人として活躍し初代の拓け氏し土地も都市化工業化の影響を受け現在住宅地と化しつつあり此処に初代の苦労を偲び入植五十年を記念し初代夫婦の名を刻み末永く顕彰する
平成十二年十一月吉日
合会行政区初代顕彰委員会
入植初代夫婦20組氏名
記念碑建立委員
区長 和気雄二 副区長 福田敏巳
公民館長 添田文男
委員 石塚義雄 杉田和平 塚原新正
初代代表 林田孝 村上幸治郎 杉田時雄
⑧現在の状況 合会公民館地内で管理されている。
栃木県
安沢
安沢(あんざわ) 09-211-2
①調査日 平成28年6月10日
②所在 矢板市安沢町
③地区の沿革 引揚者、地元から14戸が入植。陸稲、大小麦の畑作経営、揚水による開田を行う。
④設置年月日 昭和54年12月9日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 拓魂
農林水産大臣 渡辺 美智雄 書
⑦碑文(裏面) 開拓記念
入 植 昭和二十二年十二月九日
総面積 三十六町七反歩
日下田玄蕃 國井昭和 新井六郎 松由巌 新井弘 渡辺玉助 喜佐見季三 小林徳平 平野英雄
格和宏司 上原伴夫 荒井治義 伊藤三郎 桑原聞樹
昭和五十四年十二月九日 建之
施工者 鈴木石材店 鈴木了
⑧現在の状況 水田が広がる中心で管理されている。
栃木県
高原
高原(たかはら) 09-211-3
①調査日 平成28年6月2日
②所在 矢板市長井町
緯度・経度:36.8525158592744,139.832244741897
③地区の沿革 高原山の中腹、旧白河軍馬補充部高原分所跡地で雑木の原生林に68名が入植。人力開墾を行い麦類、馬鈴薯を栽培したが気象、土壌悪く、収量に見るべきものなく離脱者が多かつた。28年に乳牛導入で酪農経営に転換を図る。
④設置年月日 昭和49年11月
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 拓魂
栃木県知事 横川 信夫 書
終戦の悲謄を胸に祖国再建の希望/に燃え同志六十八名が昭和二十年/九月末未踏のこの地に入植す/朝夕星を背に苦闘の開墾のかた/わら住宅飲料水道路学校の建設半/にして力盡し者病で倒れし同志有
現在は乳の流れる理想郷となる/同志四十二名開拓三十年の歴史を/偲び今後の発展を祈願し記念碑を/建設す
昭和四十九年十一月吉日
高原開拓農業協同組合
⑦碑文(裏面) 矢板市、塩谷町 同志42名氏名
⑧現在の状況 高原公民館南側で管理されている。
栃木県
小結
小結(こゆい) 09-213-1
①調査日 平成28年8月3日
②所在 那須塩原市小結
緯度・経度:37.0101921639938,140.008958500530
③地区の沿革 昭和24年24名が入植。陸稲、麦、雑穀の畑作から、地力増進対策として牧草、乳牛に移行し、酪農地帯となる。
④設置年月日 昭和51年1月20日
⑤設置者 開拓者
⑥碑文(表面) 拓魂
栃木県知事 船田 譲 書
移りゆく 御代となるとも 忘れるな 同志とふりし 鍬の重さを 竹芳
⑦碑文(裏面) 大東亜戦争の終結により國は祖国/再建の/国策として緊急開拓を実施せり これに応じここ小結を墳墓の地と定/めた旧満州より引揚げし新潟を始め 茨/城 山梨及び地元栃木よりの入植者たち/二十四名は 昭和二十四年四月十日先づ/鍬入れを行い その年の十月小結開拓/農業協同組合を結成 大業に着手せり 当初は家族あるもの僅かに九名他は/現地に於て結婚せし若人のみ與へられし入植地は名にし負う那須/野ガ原の一角は那珂川のほとり荒茫た/る篠原は一鍬めくれば石また石貧しき農/具を駆使しての開墾は言語に絶するもの/あり一方 生きんがための生活は住むに家なく 喰うに食無く加うるに水/道路 電気など生活の基盤を整うるに日/夜狂奔し乍らの営農にて一握の稔る希/望を託すれども 無情 白穂の波に打ちひ/しがれしこと幾年ぞされど湧き出る/闘魂は一歩も退くを許さず 辛酸苦斗/二十五星霜 地元先輩の温情のもとに/団結せる同志の努力は行政と組織の手/引により遂に初志を貫き昭和四十八/年組合も地域に融合するに至る かくして開拓初代が打ち樹てしこの一/郷いつの日にか後人これを想起せん ここに 永年に亘り援助鞭撻を賜りし/大方に感謝の誠を捧げ 且つは 拓魂/の二字に子孫繁栄の祈を籠め 初代の名/を刻してこの碑を建立す 昭和五十一年一月二十日 小結開拓開拓者一同 開拓初代24名の氏名 歴代組合長氏名
書 栃木県開拓者連盟事務局長 渡辺寅八
⑧現在の状況 小結藤田集落センター地内で管理されている。
栃木県
佐野
佐野 09-213-2
①調査日 平成28年8月3日
②所在 那須塩原市佐野
緯度・経度:36.9298925875657,140.053788724975
③地区の沿革 元々は明治期の那須野が原開拓で、小作農が主な構成だったが農地解放で開拓農協を設立、小作農の基盤があったことと早くから開田が行われたため他の開拓地より恵まれていた。
④設置年月日 昭和43年2月24日
⑤設置者 組合員
⑥碑文(表面) 佐野開拓之碑
元佐賀藩士伯爵佐野常民氏所有地参百八十余町の地に明治二十六年富山県より十六戸が小作農として移住明治末期頃は痩地のため経営振はず転出転入等あり大正初めより干瓢葉煙草等を取入れ自立経営の確立を計る 昭和二十年第二次世界大戦終結同二十一年自作農創設特別措置法制定同二十二年当地開放(当主佐野常羽氏)同年東那須野金田両村の旧小作農及び新規入植者を以て佐野開拓農業協同組合を設立自作農となる同三十二年地下揚水による開田進み飛躍的発展を見るに至る 茲に開放二十周年を記念し之を建つ
昭和四十三年二月二十四日
⑦碑文(裏面) 組合員氏名
⑧現在の状況 佐野地区公民館地内で管理されている。
栃木県
新堀
新堀(しんぼり) 09-213-3
①調査日 平成28年8月3日
②所在 那須塩原市黒磯野間町
緯度・経度:36.9272726569830,140.070133148852
③地区の沿革 昭和20年、仮設飛行場予定地として伐採され終戦となり、その跡地に復員軍人とその親戚14戸が入植した。耕地が礫質のため畑作には適さず、地域に先立ち23年頃、サイロが建設され、開田が進み、水田酪農で経営の安定が図られた。
④設置年月日 平成7年11月
⑤設置者 記念碑建立委員会
⑥碑文(表面) 和 入植記念碑
戦前この地を所有していた新井房吉氏堀井友八氏の両名からこの地を「新堀」と呼び現在に至る 昭和二十年終戦後の農地解放令により数戸の農家が入植となる 当時は土地条件 生活用水の不便さから当地を好む人は少なかった
昭和三十年となり今の居住するほとんどが揃い現在に至っている そのころの経営は農業が主であり水田二十アール乳牛五頭程度あれば旧村に劣らない生活ができた その後日本経済の成長に合わせ当地区もそれまでの人力から機械化への道を歩み 昭和五十年頃には現在の水田酪農他産業への従事等ほぼ定着してきている
入植五十周年に当り新堀地区今後の益々の発展と繁栄を祈念する
⑦碑文(裏面) 寄附者芳名
委員長 荒井 利幸 副委員長 小峰 武康 会計 澤村 丈夫 書記 竹内 一郎
人見勉 大野博 伊藤正大 大野一 滝田昇 福田春夫 平山丈夫 益子久男 阿部均
森下昭吉 大野 迪
平成七年十一月吉日
⑧現在の状況 新堀地区公民館地内で管理されている。
栃木県
笹野曽里
笹野曽里(ささのそり) 09-213-4
①調査日 平成28年8月3日
②所在 那須塩原市笹野曽里
③地区の沿革 昭和24年12月12戸で帰農組合を組織し入植。後に高林開拓農協 笹野曽里班となる。
水田酪農地帯
④設置年月日 昭和54年12月25日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 開拓
高林開拓農業協同組合 第三代組合長 佐藤 正男 書
⑦碑文(裏面) 建立記 終戦後日尚浅き昭和二十四年十一月山梨県出身者十名地元出身者二名の我等同志は国策に応じ此の地に入植せり 石礫は開墾を妨げ軽鬆酸性の土壌は収穫を阻む与うる肥料は入手意の儘ならず 寒冷の気象亦我に味方せず 食うに糧なく購うに資金なく 営農の前途に絶望し離農する者半数の多きに達す 茲に於て県は地元入植の同志を補充し開拓の組織は挙げて此の地の発展に力を注ぐ 即ち昭和三十七年以降 開拓道路の建設電気の導入 困難を突破しての巻川伏流水による灌漑並びに飲用導水の実現 是に続く水田の造成 酪農経営の拡充等必死背水の陣を以つてする営農推進と生活環境の改善とは前進に光明を与う 同志相励まし相扶け苦闘すること三十有星霜見事に今日の隆昌を齎す往時を省みれば感亦無量なり
茲に入植三十周年を記念し恩顧ある人に感謝し且つは子孫悠久の繁栄と協和とを祈念し同志十一名の名を刻してこの碑を建つ
昭和五十四年十二月二十五日
撰文 菊地美明 施工 石川石材店
笹野曽里開拓 入植者氏名
⑧現在の状況 地区公民館地内で管理されている。
栃木県
高林
高林 09-213-5
①調査日 平成28年8月3日
②所在 那須塩原市青木
③地区の沿革 地区の多数の帰農組合をまとめ高林開拓農業協同組合が昭和23年6月に設立。
④設置年月日 昭和41年12月3日
⑤設置者 高林開拓農業協同組合 組合員一同
⑥碑文(表面) 開拓
栃木県知事 横川 信夫 書
⑦碑文(裏面) 日本民族の興亡をかけたる大東亜戦争は悲惨なる終結に歸し国民の困窮は其の極にありこの秋に当り祖国再建の途は外に失われたる国土を内に開拓するにありと決然此処那須野が原に入植したる我等同志四百有余人復員軍人あり満州開拓引揚者あり被戦災者あり地元二三男あり敝衣を纏い野草を喰み假の笹屋に飢寒を凌ぎ松根を燃して燈火となす過労と飢に倒る、友を相援け相励まし開墾鍬の一鍬一鍬に一家の生命を託すること二十有星霜夫妻共々鬢髪既に霜を置く然れども同志団結の力は能く水無き荒野に水を招き米無き郷に米を興う 主幹の酪農は功将に成らんとし蔬菜又一大生産団地化の趨勢を示す 古来不毛の地と目されたる那須野が原は今や我等が手に依って沃野と化しつ丶あり待望の綜合開発事業の着工も目睫に迫り前途は當に洋々入植時の念願達成近きにあるを信ず 開拓建設の事業も一段落し道路は四通し水道電気有線放送等文化の恩恵にも浴し得たるを機とし茲に開拓二十周年記念式典を挙げて祖国並びに恩顧ある人々に感謝し且つは子孫悠久の繁栄と協和とを祈念しつ丶初代同志の名を刻して此の碑を建つ
昭和四十一年十二月三日
高林開拓農業協同組合組合員一同
歴代組合長(第1代~6代 氏名)
建設委員氏名
開拓者 佐藤正男
撰文 黒磯町長 藤田庄司 書
手塚石材工業 刻
⑧現在の状況 青木小学校の隣地で管理されている。




















