関東地方
栃木県
南が丘牧場
南が丘牧場 09-407-4
①調査日 平成28年10月6日
②所在 那須郡那須町大字湯本 那須高原南が丘牧場
緯度・経度:37.078549228764,140.000861932047
③地区の沿革 満洲から引揚げ那須高原開拓に入植した岡部勇雄氏が観光牧場「那須高原南が丘牧場」創設。満洲時代の三河開拓を顕彰した碑である。
④設置年月日 昭和51年10月23日
⑤設置者 岡部勇雄
⑥碑文(表面) 開拓碑
佐藤 修之 記
(副碑表面) 三河は満洲国現中国東北の北西部に位し大興安嶺西麓に展開せ/る一大丘陵にして吾人がこの地に開拓の第一歩を印せしは 昭和/十五年四月満蒙開拓青年義勇隊興安訓練所の開設せられし時なり/当時満洲に新天地をば開かんとの意気盛んなる青少年は勇躍故郷を/発してこの地に至り 日夜孜々として勤労に勉学にいそしみ若き血/潮を燃しぬ ここに学びし者はその数三百二十余名 やがて業を/終えや興北・興西・大和の三郷に赴きて開拓に従事せり 同志ら/一致協力しまた現地民俗と相睦み相和し豊穰なる沃野を開き家畜を/養いたる成果は数年を出でずして他にその比を見るざる域に達し /五族協和・王道楽土の理想郷建設の大義は漸く実現の緒につかんとす/然るに鳴呼天なるかな命なるかな 昭和二十年入月祖国は戦に/敗れて吾人は第二故山との悲しき別離の時を迎えたり/爾来物換り星移る風雪の星霜幾十年 往時の少壮は頭に霜を戴き/髪に白きを混ゆる齢とはなりぬる さわあれ かの日々三河開拓に注/ぎたる情熱は今なお脈々として吾人の胸中を流れ 己か業務に精励して今日に至りたり 而してこの間異郷に斃れ消息の杜絶えたる/同志の数も亦少なからず
戦後三十一年を閲しその追憶と哀惜の情/は今なお片時も吾人の脳裡より去ることなし/吾人はここに同志と語らい 三河共同農村の創設者としてかの満/蒙開拓青年義勇隊興安訓練所の指導者たりし岡部勇雄が戦後入植開/拓せる那須高原南ヶ丘牧場の一角に 拓魂の碑を建てんとす南ヶ丘/牧場は三河開拓にその源流を発しかの精神をこの心として育てら/れし三河の忘れ形見なれば 吾人がこの碑を建つるに正に相応しき/地ならん その地形風光共にかの三河地方に相似たるも亦奇しき縁/なり/ここに同志相寄り相扶け建立せし碑は もとより 五族協和・王/道楽土の理想農村建設に青春を捧げたる同志の事蹟を永く後人に伝/えんがためなるが 三河開拓に力となりし幾多無名の人士 現地民/族 物言わぬ牛馬の思念も亦この碑に光背の如く凝集せん/三河の青春よ永遠なれ
昭和五十一年十月二十三日
三河会建立 撰文 吉澤敏雄
⑦碑文(裏面) 満洲開拓青年義勇隊興安訓練所
三河共同農村 建立代表 岡部勇雄
昭和五十一年十月吉日
(副碑裏面) 満洲国興安北嶺三河地方開拓者氏名
三河入植者家族氏名
道案内 オロチヨン族 金貴
(副碑 裏)
⑧現在の状況 那須高原南ヶ丘牧場内で管理されている。
栃木県
新高久
新高久 09-407-5
①調査日 平成28年10月6日
②所在 那須郡那須町大字高久甲
③地区の沿革 標高3百米の那須野ヶ原扇状高位段丘に30戸が入植。気象災害が多く畑作の収量は低く、昭和30年に開田し、全戸水田経営となる。
④設置年月日 昭和51年4月10日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 開拓
那須町長 笹沼 賢弥 書
⑦碑文(裏面) 昭和二十一年九月十日敗北から得た教訓を銘記しながら食糧増産隊としてこの地に第一歩を印したときは付近一帯松の巨木に覆われた原野で未成年の我等の前途には云い表わせない不安と重圧を感じた 爾来鋸一丁で切り開きダイナマイトで掘り起された松林の土地は痩薄にして礫質土で生産を挙げ得ず昭和二十九年二月水源を渓谷に求め深く探索し開田事業に着手した 無一文から同志を励まし合いながらここに三十星霜 気力をふりきって苦難を克服した甲斐あって今や黄金波うつ理想の郷は現在の興隆を見るに至った 深沢辰吉
昭和五十一年四月十日
新高久開拓農業協同組合
⑧現在の状況 那須街道入り口にある新高久公民館地内で管理されている。
栃木県
田島
田島 09-407-6
①調査日 平成28年9月27日
②所在 那須郡那須町大字寺子丙2469
緯度・経度:37.0569789514686,140.091771518437
③地区の沿革 戦後軍馬補充部用地の解放で旧軍人、引揚者、地元から25名が入植。大小麦を中心とした畑作経営であったが、気象災害が多く収量は不安定であり、水利の便が良いことから27年頃より開田、一部乳牛、養豚が行われたことで経営が安定した。
④設置年月日 昭和27年11月2日
⑤設置者 田島開拓農業協同組合
⑥碑文(表面) 田島 入植記念碑
栃木縣知事 小平重吉 謹書
昭和二十七年十一月二日建之
⑦碑文(裏面) 田島開拓農業協同組合
入植者25名氏名(イロハ順)
⑧現在の状況 水田が広がる公民館裏山にあり、管理されている。
(町の記念碑案内板がある)
栃木県
大同
大同(だいどう) 09-407-7
①調査日 平成28年9月15日
②所在 那須郡那須町大字高久乙
③地区の沿革 69戸(満州からの引揚者48名、地元21名)が那須火山裾野450米の火山砕屑岩を被覆する火山灰土に入植。陸稲、大小麦中心の畑作経営であったが、気象災害が多く低収のため、低地は開田、大地は飼料作物を導入し田畑作酪農経営に転換した。
④設置年月日 昭和61年5月25日
⑤設置者 同開拓農業協同組合
⑥碑文(表面) 開拓
栃木県知事 渡辺 文雄 書
⑦碑文(裏面) 東八溝の山並に朝日が昇りその一日が始る、西日/北の連山に夕日の映える時、額の汗を拭い豊饒の大/地の恵みを喜ぶ、北に仰ぐ那須岳はその燃え盡き/る事を知らず、数多くの湧水は大地を潤し家畜を育/み流れて那珂川となる。南に広がる那須野ケ原/遙に筑波の峰を望む、此の大地に、旧満州開拓の/志半ばにて敗戦后裸一貫で引揚げたる開拓者を主/体とし、地元二三男等で構成されし桜丘組合四十五/戸上ノ台組合三十二戸が、昭和二十六年大同団結し、/七十七名にて大同開拓組合を設立す。
爾来筆舌に/盡くし難き開拓の茨の道を歩み志成らずして離農/せる者三十七名その跡地に補充入植せる者二十九/名又雄図空しく仆れる者十六名のあるもその後継者/の継承し現在組合六十九名となる。嘗ては馬の放/牧場として又薪炭林として農地としては顧みられ/ざれし不毛の強酸性火山灰土壌を幾多の辛酸をな/めつヽ血と汗の努力にて豊饒の沃土と成し入植時/念願せる理想郷に到達せんとするに至る。
茲に入植四十周年大同開拓組合創立三十五周年/を記念し開拓精神を後世に伝え子々孫々悠久の/弥栄を希い組合員一同相集い之を建つ。 昭和六十一年五月二十五日
撰文 組合長理事 池田盛司
外役員一同 入植者69名氏名
⑧現在の状況 大同公民館地内で管理されている。
栃木県
栃木県那須町・千振開拓
開拓
全国開拓振興協会は会員の協力を得て、開拓の歴史・精神を記録する「開拓記念碑」の調査を実施している。
栃木県北部の那須町・千振(ちふり)開拓は、1946(昭和21)年、満州開拓引揚者73戸が入植。千振の名称は、満州開拓の地元の地名に由来する。第2の開拓に打ち込み、開墾。当初は陸稲、麦中心の畑作経営であったが、気象災害が多く、低収だった。そのため、畑は飼料作物を導入し、酪農に切り換えた。現在、日本でも有数の酪農地帯となっている。
開拓記念碑は入植から20年を迎えた66年の建立(こんりゅう)で、碑銘は「開拓」。碑文の末尾には、「二代三代さらに吾等の子孫がよき村人として立派な日本農民としてこの大地に育ちくれんことを。開拓は決して死なない」とある。(写真は栃木県開拓農協提供)
千 振
碑 銘 「開 拓」 栃木県知事 横 川 信 夫 書
規 模 高さ211cm 横307cm 厚さ15cm
ここの情報を掲載した「開拓情報」
①碑文 碑裏面 (原文は縦書き)
北満の東宮山に別れを告げ/ここ那須山の麓にたどりついたのが/昭和二十一年十一月/皆んな傷つき皆貧しかった/満州に失った千余名の愛し子兄/弟達のことを想ふと立つ力さえ抜/けていった
然しこの吾々を温く抱いてくれた/のはこの那須山と村の人々/力をふりしぼって松や櫟の根っ子と/取り組んだ月の光で荒地を拓き/そして麦を蒔いた出来たものは白穂/だけだった
それでもヘコタレないで拓きに拓いて/二十年那須山に今日もゆるやかに噴/煙がたなびき乳牛の声が緑の牧場/からきこえて来る傷ついた千振の/兄弟達がはげましあい力をあわせて/拓き造ったこの沃野だ
二代三代さらに吾等の子孫がよき/村人として立派な日本農民としてこの/大地に育ちくれんことを
開拓は決して死なない
昭和四十一年十一月
吉 崎 千 秋 記
②沿 革
設立 昭和23年6月1日
入植戸数 73戸
入植者の前身 満州開拓引揚者
現在も事務所を構えて存続、活動している
③所在地
那須町大字豊原丙千振
緯度・経度:37.0770991259384,140.103022992426
④立地状況
草地が広がる酪農地帯
⑤その他の記録等
栃木県開拓三十周年記念誌
「千振開拓 六十年のあゆみ」 千振開拓60周年記念事業委員会
「千振開拓 七十年のあゆみ」 平成28年11月に刊行
栃木県
豊津
豊津 09-407-9
①調査日 平成28年9月27日
②所在 那須郡那須町寺子丙
緯度・経度:37.0659903977042,140.096073183960
③地区の沿革 那須岳裾野の標高400メートル丘陵地の旧軍用地で、水田・酪農地帯となった。
④設置年月日 昭和48年11月23日
⑤設置者 豊津開拓農業協同組合 組合員一同
⑥碑文(表面) 拓魂
栃木県知事 横川信夫 書
⑦碑文(裏面) 大東亜戦争終結し祖国が歴史の一大転換により自由/な民主國家として生れ変るに当り全国に農地解放の/鍬の響きを聞くに及び当那須町農家の二三男を主体/とし昭和二十二年に第一陣二十名同二十四年に第二陣六名がこの地に入植組合を結成同志相励まし草の/根を食み木の葉を噛み合っての苦斗ここに二十数星/霜今や国力の急速な成長と共に自立農業たらんとする/我等が使命達成近きに至るこの秋に当り国は開拓政/策を一般農政に移行の方針を定めらる幸に我等が営/農も酪農米養蚕を中心にその基盤整え我がこと成る/の感深しここにおいて国策の一区切りを機に世代の/更新を図り曽つは組合団結の信條たりし「初心不可/忘」の一語を子孫繁栄の礎石として引き継き特に祖/国並びに大方の恩顧に対し深甚の感謝を捧げ初代同/志の名を刻してこの碑を建つ
昭和四十八年十一月二十三日
豊津開拓農業協同組合組合員一同
建設時現在初代19名の氏名
⑧現在の状況 豊津公民館隣地で管理されている。
栃木県
中原
中原 09-407-10
①調査日 平成28年9月15日
②所在 那須郡那須町大字高久丙2303
緯度・経度:37.0721128122107,140.071837737012
③地区の沿革 那須火山の標高450~500米の旧軍用地に旧軍人、地元から27戸が入植。畑作経営であったが、気象災害が多く飼料作物を導入し、酪農に転換。
④設置年月日 昭和44年11月16日
⑤設置者 中原開拓農業協同組合
⑥碑文(表面) 拓
那須町長 笹 沼 賢 弥
⑦碑文(裏面) 太平洋戦争敗れ祖国の山河を拓く茲に 二十四年同志の名を刻し拓魂を留む
昭和四十四年十一月十六日
中原開拓農業協同組合
入植27名氏名 書 渡辺寅八
⑧現在の状況 中原公民館地内で管理されている。
栃木県
那須高原
那須高原 09-407-11
①調査日 平成28年10月6日
②所在 那須郡那須町大字湯本
緯度・経度:37.0736753857140,140.008406361923
③地区の沿革 那須火山山麓標高6~7百米に亘る火山砕屑岩を被覆する火山灰土に引揚者及び疎開者33戸が入植。夏季冷涼で日照少なく雨量が多く畑作収入は極度に低く、昭和27年に酪農に転換。今は那須温泉近くの観光地。
④設置年月日 昭和43年10月8日
⑤設置者 入植者
⑥碑文(表面) 開拓
栃木県知事 横川 信夫 書
⑦碑文(裏面) 硝煙の香まださめやらぬ昭和二十三年十月八日先/遣隊がこの地に第一歩を印したときは四面篠竹と熊笹の/生い繁る荒野であった尓来鳶鍬一丁に身を託して大地/に取り組んだが一皮むけば巨岩の抵抗に逢ひその上痩薄の土/壌と寒冷は容易に生産を挙げ得ずともすれば挫けんと/する身に鞭打つことここに二十星霜今日相見える同志三/十三名相励まして努力した甲斐があって今や地域観光/の一翼を担う乳の流れる理想の郷は将に実現しようとする/に至ったここにおいて一同相諮り入植二十周年の記念式典/を挙げ祖国竝に大方の鴻恩に感謝の誠を捧ぐると共に/子孫悠久の繁栄を祈念し同志の名を刻してこの碑を/建てるものであ留
明治百年 昭和四十三年十月八日
那須高原開拓農業協同組合 入植者33名の氏名
文と書 栃木県開拓者連盟事務局長 渡辺寅八
石工 鹿野石材店
⑧現在の状況 那須高原保育園地内で管理されている。
栃木県
那須大谷
那須大谷 09-407-12
①調査日 平成28年9月27日
②所在 那須郡那須町大島960 白山神社地内
緯度・経度:37.1108135333916,140.079839693272
③地区の沿革 那須岳東面山麓に位置し、山形県出身の満州引揚者82戸が昭和23年4月27日に入植。現在は牧草地が広がる酪農地帯となっている。
④設置年月日 昭和46年11月17日
⑤設置者 那須大谷開拓農業協同組合員 一同
⑥碑文(表面) 拓魂
栃木県知事 横川信夫 書
大束亜戦争の終結により北満開拓の夢破れ、浜江省阿城の地を後に難民放浪中/あえなくなりし同志の骨を抱えて、母村山形県大谷村に辿り着いたのは、昭和二十一年十月/即座に全員集団入植を決意し、北海、富士、赤城、浅間を奔走した末、天に聲ありて/遂にここ那須の郷を子孫墳墓の地と定め仝年十二月先遣隊により鍬入れを行う。尓来/草の根を食み木の葉を噛んでの苦斗二十五年、この間、ようやく昭和二十四年に至って用地/問題解決、百四戸の入植決定、二十七年完全共同より個人経営に移行、二十八年よ里/三十年に農地売渡しの実施などにより漸くにして安定を思はしめたるも束の間、ここ/三年間における連續の凍霜冷害は生活の途を根底よりくつがえし再起不能かに陥る。然りと雖も拓魂毫もゆるが/ず、ひれ伏したる大地より握りしめて立ち上りしは、これ/ぞ将来を託する酪農なりしとは、然るに天未だ手練の手をゆるめず、たちまちにして/分散配分是正の議起り不穏動揺の中に三十四年の総会はわずか四票の差にてこれ/を議決、四〇戸残留、四六戸移転となり、住宅施設の移転農地の再配分を始め電気、/道路、水道、開こんなど全く再入植の大事業を意気と信愛によ里敢行、辛/苦たちまちにして希望と楽しみに変り、三十七年の是正完了により組合の面目は/将に一新、四十年に組合の用地を併せて造成された那須町共同利用模範牧場と/共に栃木県酪農の基地はこヽに築かれたのである。是正直後は僅か百八十頭で/あった乳牛も今や千頭を超え、日産千屯の出荷はこれぞ國の宝にして曽つ/は初代が苦斗の歴史と共に子孫に贈る未来への基盤、母村より遷されし白山/の霊よみそなはせ、途けはしかりせば不幸志半にしてたおれし同志幾人、今や白頭/簪に勝へず、大方の大恩を謝し、子孫の繁栄を祈念し今に残れる同志の名を刻し拓魂をここに畄む。
昭和四十六年十一月十七日
那須大谷開拓農業協同組合組合員一同
⑦碑文(裏面) 那須大谷賛歌
国破れ裸一貫 祖国に還る 同志互に援く 幾星霜 悠然不動 那須の嶺 白山を遷して築く 大谷の郷 竹芳山人作書
八十二名の初代開拓同志の氏名 文と書
栃木県開拓者連盟 事務局長 渡辺寅八
石工 福島県白河市中町 緑川民寿
⑧現在の状況 白山神社地内で管理されている。
栃木県




















